ぼくは塾には通ったことがない。
そんな僕にとって先生と言えば学校にいた。
学校の先生が一人、ぼくを変えた。
変わる前は性格も今よりいっそうねじ曲がったひねくれた子だった。
悪さばかりしていた(手癖がわるかったのです)。
榎本先生はスパルタだった。
子ども全員にほぼまちがいなく恐れられ憎まれるくらいの。
愛車ローレルがコートに近付いてくる音がすると僕はくらく怖い気分になった。
集合時間に1分でも遅刻したらケツバットと校庭3周(1周1キロ、でかい)。
練習の合間に水すらまともに飲ませてくれない。
ボレーに失敗すると罰がある(ラケットなしでボレー練習)。
夏の練習。朝六時~昼十二時までの練習前半で水休憩は大体一回だけ。
まず朝六時から裸(あ、上半身ね)でコートを走る。
あっちのほがらかでのんびりとしたラジオ体操のおじいちゃんたちに比べ、こっちのコートは地獄に感じる。
ラジオ体操だけしてかえりたいよーと朝から憂鬱だ。
昼休みは疲れすぎて食事がとれず水分だけ補給するのがせいいっぱい。あまり食べられない。
35分の休憩があっという間だ。
練習はボールがみえなくなる夜七時か八時まで続いた。
「つかれはてたときのスィング、これには無駄がない。」と言われ信じこまされた。
疲れて動けなくなってからが一番の練習らしい。
全員がうまくなり、大会でまけるわけもなかった。
うまくなくても鍛えたいものはレギュラーとして団体戦に混ぜられた。
一番手、二番手はまけるべくもないから三番手には誰を入れても勝ち進むのだ。
ぼくは下手でも三番手だった。
性根がまがっていたからだろう。
「おまえは悪さはする、体力はない、テニスは下手、家庭はない」
「だからテニスをしなさい」
「三十になればわかる」
そんなことを一回、にらまれながら言われ、いやいや一軍練習をさせられた。
ボールを顔面にぶつけられ眼鏡の鼻あてが鼻の頭をさす。
おかげでテニスのない時間は勉強する気になった。
テニスに比べたら勉強は快楽だった。
一日一時間でも異様に集中できるようになっていた。
そのときは気付かなかったが部員はみなテストの成績もよかった。
そしてたったひとつだけやりきったことがある。
テニスだ。
練習時間に比例して無類の強さを手に入れた。
いつしかチーム内実力の3番手、県内でも3位。
自信を手に入れた。
体力のない僕でも県で優勝できる。
国体に出場できる。
榎元先生がいたから今の自分がある。
僕はそんな中学の頃の部活みたいな塾に憧れている。
材料は何だって構わない。
テニスでも国語でも算数でも英語でも何でも同じだ。
「お前は××だ。だから○○をしなさい」と僕も言いたい。
なかなか実現できないでいるが。