コーチえのもとはぼくらのコーチになる前年まで、前任の中学で卓球部を担当し県内優勝常連に導いていた。
テニスには関係ないが彼は昼間は中学教師で、大学では物理と数学をし中学では数学を教えてた。
コーチえのもとがフォーム指導にこだわっていたのは練習終了後や練習の合間のことで、練習中はスピードある動きのことをぼくらに教えてくれた。速くするというのが本当はどういうことなのかを教えてくれた。
卓球で習得した練習法なのかは知らんが球出しの速度が速かった。
たとえばぼくにボレーの練習をさせるときは1秒に1、2本くらいずつの高速で100本連打で叩きつけてくる。
それが2mくらいの至近距離からのほぼ全力ではじめてその100連打をくらったときぼくのメガネが鼻を打ち付けメガネはずり落ちボールへの恐怖感とえのもとへの恐怖感が生まれた。
この人はどうして実戦でありえないようなペースでボールを出してくるのだろう。
それにコートはこんなに広いというのにどうして卓球みたいに近い距離でばかり球出しをするのだろう。
卓球が得意だから卓球方式と来たもんだ。ちくしょー。汗と涙で目がよく見えないや。
せめてメガネを戻したいなぁ。
そんなことを思いながらノック終了後にコートに落ちたメガネをひろって直したりした。
右回りに四人がくるくるくるくる回りながらレシーブをしてボレーをしてスマッシュをする定番の練習では一周が5秒くらいだったろうか。
それが20周、30周、40周と続き息が上がり足が動かなくなり途中滑ったりずっこけたりする。レシーブしながらボールをさばきながら前に出てボレーをし後ろに下がりスマッシュをしレシーブのポジションに戻ってレシーブをとくるくる目が回る。
フォームなんか考える余裕などなく楽をして、動く距離を小さくすることや近道をすること、ラケットを振り回さずコンパクトに動いて自分が倒れないことを心がけた。
うまくなるためにやっているはずの練習だが倒れないようにするという自己防衛本能が明らかに上回った。
コーチえのもとは声を出さんかー、下がらんかー、走らんかーなどと叫びながら球出しの手を休めることなくぼくらをくるくると回し続けた。
誰かが倒れるまでペースをどんどん上げた。
一軍で一番やせのもやしだったぼくがだいたいはじめに倒れるとメニューが終わった。
倒れるとボールを5球ほど身体に打ち付けられた。(ボールがやわらかいのでいたくもかゆくもない。)
なんとありがたい励ましか!
息ができる喜びとあいまっていたくもかゆくもないぞ。
大学生以降、東京ばななの夜間工場、京タコを焼くこと、DMの封詰めなど回転系の仕事も運良くいくつか経験したがコーチえのもとの流れ練習に比べたら楽だったかもしれない。なにより倒れなくてすむのがよかった。
「身体がきつくなったらチャンスだと思え。
そのときのフォームを身体に覚えさせろ。
無駄な力の入ってない楽なフォームだ。
それが身体にあったお前のフォームだ。」
「いいか、どんなフォームにも基本というもんがある。
いいフォームで打てば体勢を崩されたときでもへんなボールがいかない。
いいフォームで打てば何球叩いてもネットに掛かりにくくてラインから出にくい。
いい選手はいいフォームを身につけておる。落合博満のフォームと○○(いちばん下のCチームの部員の名前)のフォームの共通点がわかるか。」
「足にも不定形のフォームがある。
常に左右に揺れなさい。
両足を右左交互に小さくステップして右にも左にもすぐにいごけるようにしなさい。
とまった状態から人は急にいごかない。
いつもいごけ(※多分、「動け」のこと)。
かるく左右にいごいていたら右のボールにも左のボールにもすぐに対応できる。きまった形がないのもフォームのひとつだ。」
暗闇のベンチの上から聞こえてくる。流れてくる。