コーチえのもとのラケットは当時の最高級品だった。
ヴォクは先輩からのもらいものがなかった。吹奏楽部からの移籍組で遅れ組だったのでおこぼれがなかった。
はじめは部の余りを借りてすましたがグリップもはずれいよいよ限界。ヨネックスのレックスキングソフト17を買った。
エースナンバーに近い数字の17という数字が好きだったのと、あまり高くないのでというくらいの理由だったか。理由などないといえばそれでよろしい。
部員には鯨でできた高級ガット、「ゲイキン」を使うものもいた。
ゲイキンは雨に濡れると切れるので手入れが大変だし本当に切れやすくお金がかかるので一番手の選手以外は手を出さなかった。
コーチえのもとはテニスはうまくなかったがラケットとガットは最高級だった。
それは平均的なものの3倍もした。木の一本シャフトでヴォクのものの5倍の値がした。
ギターと比べたらピンとキリの差が小さいがそれでも業界の最高級品。
コーチえのもとのラケットを運ぶときはうんと気をつかったものだ。
ある日、ある一人の部員がぼーっとつったって声も出さずボールを打っているときだったろうか急にコーチえのもとは彼を呼び出してその高級ラケットで彼をケツバットした。
ぼくらは唖然とした。
ケツバットにではない。
そういうのはいつものことでありがたいことだった。
そのときぼくらが驚いたのはコーチえのもとが高級ラケットを手にしたまま思い切り彼のケツをラケットのボールを打つ面で叩いたときに、ラケットが真っ二つに折れ曲がってしまったからだった。
ラケットはコーチえのもとの手からひゅるりと抜けコート脇にくの字になって飛んで行った。
「あ、高級ラケットが・・・」コーチえのもとの顔をぼくらは見た。
コーチえのもとはラケットには目もくれずさきほどの部員をどなりつけている。
その日の練習後の訓話では折れたラケットの話は出てこなかった。
でもいつも以上に背筋を伸ばしたぼくらの身に、彼の言葉がよくしみた。
帰り道、ぼくらのお尻は最高級にいたかった。