のりにのる中村紀🎵 いくらノリノリでも海苔には乗れません、
に 強調 品詞分解病の私、ひかりです。
プリントと呼ばれる用紙に解説のポイントを書いている。紙はましろな粉雪(高校の先輩辛島美登里さんがサイレント・イヴで歌った冒頭で)の色よりはむしろ少しだけ黄色みがあるくらいがいい。
結構凝り性なのかどうしても盛り込みたくなる性格からか、1回の授業で配る何十枚の学習用プリントのうちたった2枚の読解プリントを作成するのにも何度も推敲して平均4時間くらいかけている。
なぜかそのことは一度もこのようなブログhttps://blog.hikarijuku.education/
に書いていなかった。
プリントは毎年使い回しでなく毎回毎週塾生の到達目標を鑑みて調整しながら作り変えているためこのようなことになる。
明らかに非効率なことであるが半分趣味なので苦ではない。
苦ではないができるだけ短くして違うところに時間を使いたいと思うことはある。
ここを伝えたいというのがありここを復習して血肉化してほしいというのがある。
次の授業でそれを使って読んで解いて習得したところが見たいという希望と期待を込めて作っている。
印刷物は入試問題同様に読みやすくしているがここだけはという解説はあえて手書きしている。
手書きした上で印刷するわけだが微文字なのがむなしい。
許されるなら塾生に書き換えてほしいくらいだ。
そうだ、自分で写して自分の字を読めば同じことではないか。はっはっは、ならばヴォクの字が読みにくかろうが微妙だろうがそんなことはどうでもよろしいということになる。
解説プリントは魂のプリントで、まだ身についていないかもしれないがぜひ身につけてほしいことを細かくdetailedにメモしている。名詞+edからできる過去分詞の意味は毎回のように伝えているのでここでは書かない。不思議なくらい文法書や参考書に載っていないことほど授業中に伝える。たとえば不定詞の形容詞的用法は名詞の後にto doのような不定詞があればそれだけで形容詞的になることはなく、形容詞的用法になる条件がある。その条件が繰り返し繰り返し毎週毎週のように書かれている。通常の参考書にはまったくといいくらい記載されていない。文法の専門書には載っているが受験用の問題集にはほとんど書かれていない。どうして形容詞用法と決まるのかそこが大事なのに。
不定詞が副詞的か形容詞的かは実に重要な問題で両者を区別する方法が存在している。
プリントにはそれができるようになるまで書かれている。
当たり前のことだが市販の参考書はほぼすべて所有して目を通している。解説で間違えを書くのは許されることではない。
子どもに模擬試験の結果を持ってきてもらうときに答案を見て感じたこと、先週の授業で記述解答を見て感じたことを早速次の週のプリントに反映する。
善は急げどころか善は翌週にはすぐにもう伝えたい。
伝えるのはかんたんでも身につけるのは簡単ではない。
そこは復習と反復によって意識しないでもできるくらいまで刷り込んで自分の型に取り込んでみてほしいという願いをこめて毎回プリントを作成している。
こんな細かい字で見えるかよっというのは当たり前のこと、大きな字でなんだこれはと言うのは必ず習得しないといけないポイントになっている。
と書いてみたがぶっちゃけ高校生のエナジーはバカでかいので負けたくないという気持ちで書いている。
ヴォクはギターをうまくはひけない。
ヴォクは髪を上手くは切れない。
ヴォクは名もなき詩lionさんのようなカレーをうまくは作れない。
ヴォクはメガネを作れない。
ヴォクはゴミを捨てられない。(どさくさ主義)
でも立派なプリントを作ることができる。
光塾のすごいプリント
を手渡すため、分厚い書物一冊を読んで知り得たコツをたった一行の文字の中にも圧縮して伝えたい。
復習して血肉化していただきたい。
(つづく)
plus
形容詞 うれしい うれし かなしい かなし エモい エモし キモい キモし たかい たかし ながい ナガシ
形容詞には「し」がつくのとつかないのがあるね?あるよな?
「し」がつくのはなんでかな?
「し」は気持ちや主観なんじゃないかな?
「べし」だってそういう気持ちなんだしね。
「まほし」だってそうなんさ。音で考えてみたらいいんじゃない?
だからね、ひかり式古文現文を考えるぼうしでは、きもいはアウトやねん エモイもアウトや。
気持ちが入るんやから 「えもしい」「きもしい」はどうかな?
ご反対意見のある人は日記に書いてな。
plus 国語の小説の読み方は?
解き方まである程度決まっている数学、英文法という土台がかなり共通して存在する英語、努力で読めるようになる古文漢文と違って、現代文は奥深い。
ある人は何もしない。書いてある通りに読んで書いてある通りに読解するという。ある人は誤読する。ある人は誤読どころか何が書いてあるかまったくわからなくなる。
この現代文という科目は一橋大でも東大でも京大でも文系理系に関わらず高い配点で論述試験が課されており大差のつく科目となっている。奥深さで考えて実におもしろい科目、対策したくなる科目、攻略したくなる科目だと言えば言えるだろう。
評論文でさえ難しい。各形式段落にトピックセンテンスが存在する。
それを並列につなぐと要旨のもとができて、それを字数内に削ると100字要約になるといった指導法などもよく耳にする。いったいどれを信じたらいいのかもわからないからなんとなく有名なものをやっとくかとなるのが落ち。
評論文ならまだしも小説というものまで出すことがある。
センター試験、共通テストでもその小説の比重が下がるような気配はみじんもない。
読み方がいっぱいあるように見える科目で解答が一つしかないとは一体全体どういうことなのかと思う人は多い。
さて、小説を解くにあたって最小限着目すべき点をあげてみると、
小説の読み
1 場面 設問の多くは場面ごとにある 時間が変わる 空間が変わる 人間が変わる
2 人物像 人物関係
3 心情 を読み取る
4 象徴 があることがある 文字通りの意味をこえた意味
5 主題 全体としてどんな話か 主題をつかむのが目的の一つと知っておけば小説の解き方という点ではずっとかんたんなものになるだろう。
6 語り手 は誰か
変化が描かれていることが多い。主題にからむことは少なくない。
などなど。(続く)