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100字要約(2) | 進路を示す人と進路を眺める人との間には | 学習塾 上尾市 光塾

知識と情報がない患者に対して医師が医療方針を決めることをパターナリズムという。パターナル=fatherlyで父親のように上からという意味合いが言葉には入っているが時によく時に悪い。医学部受験生の小論文の必修テーマの1つで、一般学部入試でも現代文や英文、小論文のテーマにもなりやすい。

 

さて、進路指導というのは、(ヴォクはいま模試結果を眺めて一晩置きながらこの文章を書いている)情報が受験生側にない場合にパターナルになりやすいものだ。まるで英語の英文法を教えるかのように形の上では同じように進路を教えるということはありえるが当然の如くナカミの性質が異なる。英文法ははじめから法則が1つでcurrentlyに使われている英語のことを説明するので主体がどちらにあっても問題ないが、進路というのは進みたい人が進みたい方向性を

主体的に

持つことを促すのかそれとも周りがこっちがいいよと誘導を強くするのかの2つの方向性の中で間になりがちの世界である。

 

いつの時代でも選択肢というのは多くないようでいて、でも主体的に動けば進路の選択肢は本来はたくさんある。

受験の場合には過去問を見たら何をしたらいいのかがわかる。情報がないなんて言い訳に過ぎない。

過去の入試問題があって入試の日にそのような問題が出るとわかれば自分がどんな準備をしたらいいのかがわかるようになるので過去問を見るところまで含めて調べたら良い。

 

どっちに向いているのかは指導者の感想であってこの学校に進むとこんなことがあるらしいんだーと情報を出せば出すほど意識的に無意識的に誘導してしまうことになるので進路をアドバイスするときには広く全部を同時に出すように心がけている。

そしてもちろんのことながら先に相手の今の決めていること、望むことをアンケートする。

 

進路指導がないと誤解する人がたまにいるかもしれないしいないかもしれないが日々高校生を見ていてどんな学校にいけばどんな生活になりやすいかの一般的な性質はいくらでも情報がある。

目の前の高校生が生きる見本であり卒業した大学生の大学での活躍の写真やネットの記事などを紹介してみせていただくたびにあーあの学校でがんばってその後あの方向へ進んでいまはこう楽しんでいるのかこういうところで苦しんでいるのかなどと思いを回らしている。

先回りしてひとつの学校や方向性の情報をこちらから流すことはしない。

 

数字だけで最初は選ぶ、何かの評判だけではじめは選ぶ、先輩の様子を聞いて選ぶ、きっかけは何だっていいと思うが決める調べる考える決める調べるかんがえるを繰り返してその先で聞かれたら5秒でお返事している。

 

ヴォクに父親がいたかいなかったかとかコーチえのもとがいたかいなかったかとかそれは影響はあっても答えを持つのには無関係で人間として生まれて生きている人が自分で数年後の方向性を決めていることを影響して変えることはできるとしてもしていない。

一冊の進路本、そこには学校のことが何でも数字で載っている、と過去問があれば学校のことがわからないなどということはありえない。

情報はないのでなく自分で決めたくないだけということなのでそれならいつまでに決めてくださいと学校で言われ進路希望調査の用紙に書いて書かされているうちに個人差こそあれ自分はどんな道に進みたいのかが少しずつ作り上がっていくわけだ。

はやばやと決めた方が有利かと言えばそうでもない。

 

「善は急げ」が常にあてはまるわけではない。

どんな問題でも急いだ方がいいことと急がない方がいいこととがありケースバイケースという結局何もしていないように見える状態でスタンバイしているというのがヴォクである。

スタンバイのバイは文字通り「そばに」ということだ。

 

そもそも、「こう進むと善」という答えははじめから英文法や三平方の定理のように「ある」と考えていない。

第一希望:

第二希望:

第三希望:

と書いてもらうのは形式的なことなのではないか?

就職先を希望する時でも進学を希望するときでもいや極端に言えばラーメン屋でメニューを選ぶときに希望順は仕方なくつけているのではないか?

一番食べたいというのはその日の天気や気分によってさえ変化するものであってはじめからドンとひとつ決まっているような種類のものではありえない。

ここ一週間食べることができていなかったから初志貫徹で:醤油とんこつで。

というのは一見すると潔いようでいて実際のところその日の気持ちで第一希望のものと合っているかと言えば相当に難しいものだ。

ましてや人生の第一希望などというものが正確に順番に並ぶわけがない。

 

おそらく多くの人は希望順を書くということにあまりに慣れさせられているため希望順の用紙を見て不思議にさえ思わない。

しかし、ヴォクはまずそこからして疑っている。

 

本人が決まらぬものをじゃヴォクが決めよう、ヴォクの手で。

と決めるようなことはしない。

代わりに待っているということだ。

味の説明を求められれば5秒で「濃くてクセになる味だった、ヴォクには。」などと答えるけれど。

 

plus 現代文の読解力を高める最高の方法 100字要約について

英語を読むは現代日本語に換えて古文を読むときは現代語にかえて漢文を読むときは現代日本語にかえる。

それで読解は終わりかというとそうでもない。読むって何をしたらいいのか。

現代日本語を読むときには現代日本語にかえて読む。あれ!?

いま文章を読んで読めているのにそれより何をしたらいいのだろう。

ブログやニュースはさておき入試科目としての国語、入試現代文の勉強、現代文が得意になるにはどんな練習をしたらいい科目なのか?

読解の水準がいくつか解いても変わらないとしたらどれは設問を解いているからで読解をしていないからだ。


読むから難しい変な科目かといえば英語や古文や漢文もそうなのだから読むだけで謎科目にはあたらない。現代文が謎なわけは何をしたら得意になるのかよくわからないからではないか?

よめるときは読めて読めないときは読めないのは感想が違う気がする。読むのがうまい人が今日の現代文は読めなかったとは言わないはずだ。

謎についてはここまでにして。

 

日本語を日本語にかえて読んで何をしたらいいのかといえば論理的に読むことと構造的に読むことがある。

まずひとつめの論理的に読むのほうについて。

論理といえば論理学と思い浮かぶかもしれないが現代文の論理はそこまで厳密な論理は扱うことは実は多くない。

論理学と現代文の論理は同じ部分が多いとはいえ現代文入試問題では論理学的なものばかりは要求されていない。

 


現代文で要求される論理とは先に結論を書くと、関係である。

語と語の関係、文と文の関係をとらえるのが要求される。

もっと言えばAの文とBの文が同じか違うかを読むのが現代文の論理だ。

さらに詳しく書いてみる。

 

たとえば設問が「誰のどういうことか」とあるのに書いた答案の最初が「だれだれの、」となっていないとしたら、設問に対して厳密に聞かれたことを解答する練習のできていないことのしるしである。そもそもが短い設問の構造すらもう無視している。はじめに誰がで後にどういうことかとあるのだから「だれだれの、」は答案の最初にあるべきでその位置が最初にあるべきことは他の重要事項に劣らない。解答文の最初に誰なのか以外のことが書いてある答案は設問の条件を満たすような構造の解答を書くという観点で現代文の答案としては非合理的なもの、ナンセンスなものとなる。

 

人が文章を読むときには何のテーマで何のメッセージなのか、そして根拠は何でどう説明しているのかを読むのが現代文の文章を読むことの本質である。人はニュースでもちょっとした説明書でも薬の注意書きでさえそのようなことを普段から程度の差こそあれ意識して文章を読んでいる。長い文章を読むときには要約しなければ役場に用紙を正しく必要事項を自分の力で書いて出すこともままならなくなってしまう。話は何も入試の答案だけに限ったことではない。

 

何がどうだどうすべきだ根拠はこれこれだと話を要約する際に、英文読解でも現代文読解でも古文長文、漢文長文の読解でも精読や直訳をしながら読む必要はない。実際にそんなことをしても答案用紙に反映できることはほとんどなく点数に繋がる作業ではない。それどころか残りの時間が少なくなり肝心の設問処理や答案の記述を余裕を持って行うことができなくなる。採点されるのは設問に答えた解答に対してである。採点基準は細かくなっておりたとえば30字のますに対して6箇所6点の要素点まで設けられている。設問に対して正確に答えることに集中してエネルギーを注ぎたいのであるから、本文の方向性をとったら本文の細部には疑問や不明点が残っていても切り捨てて宙吊りとしておいて、こだわりすぎないようにする。これは試験本番では時間制限があるからそうするしかない。

しかし練習ではリミット解除何時間かけて読む練習をしても構わない。実際要約練習を組み入れるとおそろしいくらいいっかいあたりの読解力が伸びる。

 

試験や実戦練習では全体をざっと読んでテーマ、イイタイコトをとらえておく。次に、傍線部(1)について設問があれば今度は傍線部(1)を含む段落までを短い時間でささっと要約しておいてから傍線部(1)の設問に取り組むというのが一般的に考えられる最もよくある目の動かし方だと言える。文章は段落で意味のかたまりを持つようにこころがけて書かれているので要約も段落単位で行うのは理にかなっている。傍線部の前後数行を読むなどという根も葉もないような読み方でなく、段落単位で要約するようにする。段落が意味段落でまとまるときは意味段落のまとまり単位で要約する。

 

実践練習では形容詞は複雑なものであっても意味が謎めいたものであってもプラスかマイナスかがわかれば困らないので脈を外さないですむようにプラス、マイナスとメモをとっておく。形容詞、形容動詞を読むときにはいいのかわるいのかをつかむように心掛ける。もちろんもっと具体化したところまで読めている場合はそれでもよいが他の場所の記述との関連では細部にこだわりすぎるとかえって関連性、つながりが悪くなることもありうる。

 

形容詞A、形容詞B、形容詞Cと3つ出てきているが結局方向性としてはその3つがもし同じであればその類比(同じこと、共通点をもつもの)を掴んでおくほうが要約においては「Aだけでのニュアンス」(←そういうものは客観的には存在しない)を決めることにもまして重要なことであり「Aだけでのニュアンス」(←客観的なものではない)にこだわるくらいならむしろA、B、Cの方向性が同じかどうかを再確認するような読解の仕方の方が主張(イイタイコト)をつかむのにずっと役立つだろう。つまり、ことばAはことばAだけで意味を持つのでなくことばBやことばCとの関連において意味をもつ。ものは形容されるごとに意味が決まる。言い換えられるほど意味が狭まる。

 

一つ一つの言葉は他との関係の中でより意味が明確になるところがあり、一文を見つめて一文だけの解釈を追求しようとするのは、まるで和歌を和歌だけで解釈しようとするくらい無理のあることである。和歌はそれが詠まれた文脈があってはじめて当意即妙たりえるものである。

 

同じくたとえば、「運命」「宿命」という似た単語であっても両者を対比して(異なるものとして、引き離して、距離をおいて、共通点のないものとして)用いられればかなり違った意味を持つこともありえる。

違う点を書けば両者は違ったものになれるわけだ。

 

また、たいしたことのないようにはじめ出てきている言葉であっても後から具体的にしつこく説明され、具体化され、繰り返し言い換えられる言葉はそれらが叫びや連呼、気合いだ気合いだ気合いだーみたいなものでなく根拠を書いていけばその文章のイイタイコトになる。何がイイタイコトなのかは筆者の書いた文章の関係が決めている。理由や方法までが書いてあれば結局同じことが言いたいだけであってそこがイイタイコトだから具体説明を付しているに他ならない。

 

自分の好きなさっとかける記号をつけておけばイイタイコトをつかむまでの処理も早くなりうる。関係の記号やディスコースマーカーが重要性を持つのはこの意味においてである。主張が主張になるのは周りのことがあるからだ。主張を主張にしていくその説明の仕方に印をするのは無駄なことではない。速記術の記号と同じで自分流のものを記号で持っておくのは短い試験本番の読解法としてとても役に立つはずだ。要約を文字で書く場合はサラサラと流れるような仕方でメモできるようになるよう、普段のノートテイキングのときから工夫をこころがけ速記をトレーニングしておく必要がある。

 

普段からどういう速読や要約ができるかというところに練習では第一にフォーカスするようにする。ここで私が要約というのは、要約文を決まった字数で書くというだけの意味ではない。「要するにどういうことか?」をとらえ忘れにくくなるようにメモをとっておくくらいの意味である。

次に練習では読解力自体を高めるため100字要約を練習するのが効果的だ。

読解力がつきまくり現代文が得意になる。

 

精読や全訳は実力をつけるため次回以降に生かすために予習、復習の際に行えばよいことであって、初読や初解きや実戦では15分で読んだ制限の中での点数を最大化するのが目的であるから、実戦練習では全訳をすることは行わなくてよい。

しかしそれとは別に時間を気にせず予習で読んで要約しておくことは大きな力になる。

理由は筆者が書いているテーマ、主張、根拠をまとめるにはそれが100字という短い文字数であるからなおさら関係を読み抜く練習になるからだ。


英語や古文漢文では全訳を行うのが目的なのではなく手段であり、最終的には筆者の主張と根拠を読みとりたい。主張=イイタイコトをあぶり出すために、文と文の関係(論理)をつかみながら意味のまとまりや関係(構造)にも着目しながら根拠や説明を読んでいくというのが読解の方法である。読解問題の解法なんてものは読解にはまずもって不要である。そもそも関係の基本の同じと違うなどは日常生活の論理であって読解だけに必要な技というのは存在しない。

「あなたと私は違うんです」もそうだが人は毎日同じか違うかを感じながら生きているようなところがある。

日本語にしたらそれで読解が終わるなのではない。

日本語でも何語でも翻訳や言い換えのその先に、読解がある。

テーマ、主張、根拠を100字で書くというのを誰が読むでもないのに自分なりにやってみるとしたらそれで読解力は伸びる。1000,2000,3000,4000字の長文を読んで100字に要約する。

紙面1枚、2枚、3枚の古典、英文を読んでも100字の日本語で要約しておく。

英文では100語200語の英文要約をしてみるということは読解力を伸ばす具体的にとてもよい方法である。

それが現代文がうまくなる最高の方法だ。

 

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