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どうでもいい話(100)

たまにはどうでもいい話。

んな、修行僧みたいな生活してどうすんの?

趣味の時間があまりとれなくなってむなしくないの?

部活に青春を捧げられなくなっていいの?

どうせ合格した後は英語も数学も古典も社会も理科も実生活でつかわなくなるし忘れてしまうんじゃないの?

答えは全部ノーだ。修行僧に長期間なる必要はない。

趣味と両立は可能だ。

部活と両立は可能だ。

忘れるものもあるが残るものもある。

そして結果は必ず出さなければならない。

なぜなら結果を出すために練習しているから。

結果以外のものまで見えるのなら結果のみにこだわらなくてもいいだろう。

でも結果しか見えないのなら、結果は出さなければならない。

結果にこだわるのと実際に出す成績は比例する。

ヴォクは方法にはあまりこだわりはない。その時々の状況を見ながら最善と信じる方法をしかし念のため気持ち多めにやるようにしているだけだ。しかし結果にはこだわる。

勉強する以上、結果だけは必ず出さなければならない。

「合格はできませんでしたが、先生には感謝の気持ちしかありません。」

そんな言葉に真実味を覚えない。4か月経っても悔しいだけだ。

定期試験だろうか、模試だろうが、入試だろうが、進学振分試験だろうが、資格試験だろうが、受けると約束した子には、それに受かるようなコーチングをする。それに従わないならやめたらいいまでだ。

人は本当に強く願ったところちょうどまでしか到達しない。

逆に言えば、本当に強く希望しているの子には、たくさんたくさん努力して結果をつかみとる権利がある。

努力を重ねるのはヒキョーなことではない。自分を律するという修行なのだから。

きたないことをやるわけでもない。自分に練習ノルマをたくさん課しているだけなのだから。

たくさん練習するのは何のためだろう。

ひとのため、自分のため?

努力が裏切らないのを証明するため?

色々あるだろうが、どうせ練習するからには結果を掴まんば。

目標を明確にする。

わたしはいったいなにがしたいのだろう。

わたしはいったいなにになりたいのだろう。

話はそれからだ。

だって練習するために練習してるわけ?

それでいい?

ほんとうに?

わからなくなってきた?

ほなね。すた、すた、…ポメラ