今年の春、ある公立高校に合格した子の点数は開示された結果、次のようなものであった。
>国語…90点
>数学…95点
この点数は開示結果であり、その高校の担当が採点した結果である。難易度が上がった今年の埼玉県公立高校入試の中でのこの数字、県内でもトップレボーのスコアをとっていると思う。(ほかの科目もすべて練習試合(模試)同様によく、5科トータルも模試と同様に9割を超えていた。)
これとは別に入試直後には自己採点結果もいただいている。この子のように模試の自己採点が普段極めて正確な子の場合は高校の採点の辛さ甘さも垣間見ることができるだろう。
この開示結果点数からわかるのは何点とって合格したのかという(後輩にとってめっさ有益な)事実以外にもいくつかある。そのうちのひとつについて書かむとす。
この子が練習でとりあえず3年間の間(とりあえずというのは12歳までの過ごし方がさらに重要であろうから)、取り組んできたものは大別して、学校の教科書、学校の傍用問題集、塾の問題集(市販の高校への数学日日の演習などを含む)、過去問(私立、公立)の4種類。
精神的な部分(向かってゆく気持ち)は目には見えないが、物理的になにをどれだけ練習したのかはそれらの書物をテーブルの上に積み上げてみたら体感することができよう。
少なくともヴォクの頭の中にはそれがある。いついつにあれこれをどれだけやって、かくかくしがじかになったのか、と(いや、意味わがんねから!)。
日々の練習がどれだけ本番に通用しているのかを見るために、模試もある。そして本番の点数開示がある。
ヴォクは塾生からいただいた点数開示結果の平均をとった。模試も戻ったらすぐに教科別偏差値の平均をとり、数学、英語、国語、理科、社会の指導水準を確認する。
なにがつよくて、なにがよわいのだろう。
たとえば数学が英語より良過ぎたら(これは先日行われた新中3の3月模試結果の場合なのだが)、すぐに英語のカリキュラムを修正し、国語が数学より良過ぎたら数学を強化するというように戦術を修正している。
個人で塾をやっているから明日からでも変えられる!この仕事がたのしいゆえんだ。
こんな風にして模試結果や点数開示の数値はコーチの指導についても重要なデータとなる。
内容も見たらなおよい。国語の記述はどれくらいとれたのか。数学の図形的な応用問題はどうか。英語の作文はどうか、などなど。模試の場合は点数開示と違ってすべての問題の結果が開示される。模試は現状を知るためだけに受けるわけではない。これから何をしたらいいのか作戦を立てるためにもあるのだろう。
中3の次の模試は4/25。塾生平均偏差値は例の目標数字を達成する予定で(どういうわけかすべからく)順調に進み、確認テストはここ3週間不合格者が1人もなかった。
ある子たちは偏差値70ごえではなくある県内順位を目標に取り組んでいる。
彼らが素晴らしいのは向かってゆく気持ち。
ヴォクからの、確認テストに不合格するなというプレッシャーを全く感じるそぶりもなく、また親の期待というプレッシャーに押しつぶされるようなこともなく、ただ自分の決めた数値目標に向かってゆく姿勢。
ある子はマイクリア社会・マイクリア理科の確認テストで、確認テスト対象範囲でない場所も勝手に練習していた。確認テストは1章から順番に実施しているというのに、その子は合わせて後ろの章も勝手に隠れて自学している、という。まるで忍者みたい。
またある子は英語の長文読解練成を毎日5文必ず読んでから寝ているらしい。読まないと寝たくないらしい。
そういうゴーイングマイウェイな姿勢もわるくない。
目標は達成しないより達成した方がいい。でもそれだけじゃない。目標には人を向かってゆく気持ちにさせてくれる、そういうふしぎな力がある。
目標をもつのは自分だし、目標がつよくしてくれるのも自分。目標とはなんとも不思議なものであることだよ。