原因と結果の法則という言葉がある。
「原因があるような気がします。」
ヴォクはその言葉の意味を考えてみる。
いったいどんな原因があるというのだろう。
病気にならウィルスだったり病名だったり原因(らしきもの)が特定できることがある。
勉強が不調のときは原因を考えてみる。
言葉、用語、定義の理解は正確か。
言葉を正確に覚えたか。
用語を正しく読み、書きできるのか。
ちょうど同じ日にコンビニの店員さんは言った。
「私の中では認めていませんが鼻がとてもむずむずします」と。
なるほど鼻がむずむずするのを花粉症だと呼ぶのは簡単だが、花粉症に打ち克つために花粉症と思わないようにするという作戦もあるのか。
かたや原因を探る思考、かたや原因を探らず気力で乗り越える考え方、方向性は真逆だが180度真逆なため両者はつながっている。
原因と闘っているという点において同じではないか。
O西中の定期試験の記録用紙に書いてあった言葉がある。
「努力したからといって結果が出るとは限らない。
でも結果を出した人は絶対に努力している。」
努力は結果の原因である。
結果を出したかったら努力をしておくのがいい。
それは努力が結果の原因になっているからだ。
しかし結果は出ないこともあるという現実を突きつけられる。
いや、結果はただ目に見えないだけで時期が経てば、時間が経過したら「大きな花が咲く」。
そんな風にお母様がおっしゃってくださった。
ヴォクはこの悔しさを忘れない。
ずっとこの記憶を引きずりながら仕事をする。
たとえ不合格という結果が変わらなくとも、これではあきらめがつかない。
原因は見えないようで見える。
原因を探りながら生活する(ことを習慣にした)という点において、一段次元の高いレベルでこの子は学習をすることになる。
あのときの原因を克服しようとして、もう次の舞台へ向かって、新しい一歩を前にむかって踏み出したんだ。それは目を見たからわかるんだ。
どの本を全部覚えればいいのだい。
あたしは暗記が大の得意なのよ。
オレンジペンでカッコの中に用語を書きまくって、
赤いシートで隠して、
かたっぱしから全部覚えるぞ。
そんな風に目の中に書いてあったんだ。