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どうでもいい話(874)

もひとつどうでもいい話。ちょっと先に874号を書いておこう。

ヴォクは独学で中学受験し、独学で高校受験し、独学で大学受験した。私立の学校には結局縁がなく好きでも行くことができなかったけれど。

独学といっても学校の授業を一字一句メモする感じで聴いていた。学校に行かずただ書物だけに学んだわけではない。母がヴォクに教えてくれた。「学校の授業を必死に聴きなさい。勉強は学生の本分よ」と。

わからない問題が生じたら?

書店に行って調べた。それでもわからないと図書館に行って調べた。

それでも分からなくなると?

当時はググったりヤホったりウィキったりできなかったので脳内の分からないフォルダ「ひとっちゃわからん」に分けて、寝かせた。わからなくても分けることくらいはできる。「うん、ここは本気を出してもわからないぞ」と。体力も気力もあるけれど限界だぞと。千代の富士の引退とは違う意味で限界だぞと。

「ひとっちゃわからん」フォルダにとどまったまま、寝たまま、何ヶ月も経つことも多かったが(その中のいくつかは今でもわからないものとしてそこに分けられたままだ)、他のものを学習するうちに解決できることもあった。本分という言葉の意味を知ったのも中1の頃だった。それまではずっと本文て何だろう。馬鹿なことを言ってるなぁなどと寝かせながら時折考えていた。

話を戻して(見えない箱をスーッとずらしながら )、わからんかったことがひょっとわかったりすると楽しい。

わからなさそうでわかりそうな瞬間もまたドキドキして楽しい。

そういうときの喜びが学ぶ原動力となってゆく。

勉強しても研究しても調査してもどうしてもわからないことがある。いや、わかったように見えるものも実は氷山の一角でしかない。

海の下はどうなっているのだろう。わからないな、見えないな。ちょっと怖いけれど知りたい。少し見たい。ヒントちょーだい。

それが学ぶことの理由でもあるんじゃないかなーって。

で、何に比例するかってことだけど、875号の時に合わせて書こうと思う。(←それ、引っ張りすぎだからっ!)