成績が上がったとか試験で点をとるとかそんなところにばかり目がいってしまう。そういうことはただの結果に過ぎないというのに。
たるんだ子どもには怒鳴りつけ、勉強をたくさんしている子どもにはどうしてそんなに勉強しているのかと尋ねてしまう。
勉強するわけについてよく考えなくても考えても、勉強は楽しい。
昨日まで知らなかった世界について、新しい知識を得る。
昨日まで解決策のなかった諸問題の解決の突破口(のように見えるもの)を手に入れる。
こんなにたのしい遊びはないではないか。
「なんでそんなに勉強しているのかな」
「なにか将来の目標があるのかな」
そんなことを聞きたくなった自分を後悔する。
たのしいからやっている子に理由を尋ねるだなんて。
彼らはたとえ禁止されても隠れて勉強したがるだろう。
ヴォクが不思議そうにする。
聞かれて困った子どもは、
「不思議がられても逆に困ります。
たのしくてやってるだけです。
(負けず嫌いでやってるだけです。)
好きでやってるだけです」と目で訴える。
受験で点をとることは結果であって目標視しなくていいのに。
過去問や模試のスコアにばかり目が行き到達度などに重点をおいてしまう。
ああ。
ヴォクは過去問病だな。森に戻らなくっちゃ。
勉強はもっとたのしいもんでいい。
研究はもっと自由に、もっと気ままでいい。
勉強はシェフのきまぐれサラダだ。
同じところに行くのでも道はたくさんある。
目的地も、好みに応じてあれもこれもだっていい。
どんなサラダができたっていい。
この病から抜け出そう。