ヒカリブログ

上尾市と桶川市の間にある学習塾光塾

どうでもいい話(169)土曜日授業

どうでもいい話。

プリントに目を近づけるその近さと学力は比例する。

ここぞというときになると、教材と正対しぐっと目を近づけて集中するような子がいる。それはたとえば、新しい単元の解説ページを自分で読むときだったり、音読してくださいと指示されたときだったり。

そんなに近づいてわるいが笑いたくなる。でも、本人はいたってまじめだ。笑ってなんかいられない。

あれか、ヴォクと同じようにどきんちゃん、もといド近眼なのだろうか。

いやぁ、でも普段はそんなに目を近づけている様子はないしなあ。

なんなのだろう、この集中は。

ここは、エラーしないぞ!という気概が伝わってきてこちらまでピリッとした気持ちになるんだよ。

もっとどうでもいい話。 どうしたら難問が解けるようになるだろう。 その答えは簡単であり、同時に難しい。 かんたんというのは基本の公式をきちんとやればそれでよく、難問はそのいくつかが単に組み合わさっているだけだという意味において。 難しいというのは、基本の習得こそ困難なものでありそれゆえそれの組み合わさった難問には難所がいくらも存在しているという意味においてである。 模試が終わった子は難問の解決策を模試の時間中とテスト後に考えたことだろう。 本番でも練習でも模試でも難問を解決する能力を上げたかったら難問と格闘することを通して練習してゆくしかない。ホールインワンは偶然訪れるもんではない。 うまい人にしかそのチャンスはない。 基本を繰り返しコンビネーションをコンビのセットごと丸呑みできるまで練習をしてゆくしかない。 基本は練習すればするほど忘れられない形で身に染み込んでゆき、コンビネーションもまた練習したらしただけ対応パターンや必殺パターンが増えてゆく。 将棋では中飛車などの型がある。難問題を解くのもそれに似ているところがある。 手順ごと丸真似、丸呑みしてゆく練習法も悪くない。 基本と難問題の演習の行き来の中に上達への道がある。 もうひとつどうでもいい話。 まったく関係なさそうなことを質問するのと学力は比例する。 聞きたくて仕方がなくなったらそのとき聞けばいい。タイミングなんか知ったこっちゃない。 質問はないかと聞かれて半ば無理やりに即興でつくった1つの質問と、ずっと気にかかっていて知りたくて知りたくてでもどうしても自力では解決することのできなくなって尋ねる1つの質問とは、一見したところ、オランジーナとファンタオレンジの味くらいに似ている。 でもそこには断絶がある。 自分で疑問を持ち自分で考える問題点ほど脳力をストレッチしてくれるものはない。 難問題が解けないこと自体、何も困らない。 本当の問題はそこに問題が潜んでいるのに気がつかなくなってしまうことだ。 問題があった。 さぁ、どうしてやろうか。 どうやって解決したらいいだろう。 あなたなりのやり方でなんとかしてみたらいい。 人に聞くなんてことはもういかんともしがたくなってからでも遅くない。 自分にわからないことが多いのは勉強している証拠だ。 どんどんわからないことは増えてゆく。 勉強すればするほど知らないことは増えてゆく。 風船が大きくふくらむと空気と接する部分が増えるみたいにして。 どうしても気になって仕方がないのなら、どう調べてもわからなくなったなら、聞いてみたらいい。 ついでにどうでもいい話。 土曜日は塾にとって便利な一日だ。来年の受験生からは土曜日にしたいという希望が多い。 振替は月1回しか受け付けていないのでレギュラー曜日が希望通りになることは重要だ。 たとえば、昼授業→休憩(外で軽く運動)→夕方授業→休憩(外で軽い運動とパンかおにぎりかうどんなどの休憩)→夜授業などということができる。 中学生は1回150分ノンストップで学習しているが休憩をはさめばもっとできる。 平日でもそれができないことはないが、平日300分授業をやるよりは土曜日300分授業の方が楽だ。土曜日はだから二倍おいしい。