でね、同じ問題集をずっと解くのがいいわけよ。
ただ解くのじゃないよ。
自分流でも解くの。
できたらもう模範解答や解答例もそっちのけで自分の答えをつくっていくの。
途中何を調べてもいい。
最高の問題が目の前にあれば問題集の解説を参考にするのはもう最後にしたっていいの。
問題があって答えがある。途中をつくって答えに必ずたどり着くまで考えるの。
ノートには自分流の解説ができていく。
俺流解説とか、私はこうやって解いたみたいな。
それって楽しいよ。
自分のこととして問題について悩んで考えて調べて、そして納得したりわかったり思いついたりして解けるときの喜びと言ったら。
自分で全部もう考えるしかないと割り切ると人間火事場の馬鹿力みたいなのが出てくるもんだ。
もちろんね、聞いたり見たりした方が早いってそういう誘惑もあるし実際その問題を理解するだけだったらわかっている人に聞くのは早いだろうね。
道を迷っているときに人に聞くってそりゃあ早いに決まっている。
唐船峡そうめん流しはどっちですか?
このまままっすぐ言ってはじめの信号を右に曲がってね。
はいよ。かんたんだね。
ただね、次にまた聞かないでその流しにたどり着けるかな?
ソーメンまで迷わずすすすーっと行けるのかね。
言ってみないとわがんねけども。
ただね、聞かずにたどり着いた場合は、次からは迷いにくくなると思うよ。そういう感じかな。
話が道に、横道にそれたけども、ヴォクが言いたいのはね、解けるまで考えて、どうしてもダメなら本を調べて、実験して、考察して、絵を描いて、例を書いてってできることをあれこれやってもいいからとにかく解けるのをめざすというやり方もあるってことなのよ。
自分の考えがないってのとは真逆のやり方があるってこと。
よくこんな話を聞かないかな?
この科目はこの本しかやっていません、それだけで何々大学に進みました、みたいな言葉を。
あー、一冊やっただけってはいはい(一冊ってことはないだろうに)って思う?
ヴォクはそうは思わないな。ほほー、まさかの一冊トコトンきたか。
うーん、どの問題集をやったのかは最後に聞くとして、どういうやり方をしたのかきいてみたいなあ。(その一冊は高校物理なら『物理教室』みたいに実にきっちりとしている参考書や問題集であることが多い。) 使い方や進め方は個人差がかなりある。
一冊やるにも程度の差、方法の差、かける時間の差が相当にあって、一冊の問題を全問解けるのは当たり前として、問題についてあれこれ感想やコメントを述べられるくらいまで深くやるのと、ただ一回解こうとしてみたというのとでは、永田川(ヴォクが小学2年生の頃住んでた増田ビルのそばの鯉がよく釣れる川)とアマゾン川(いろんな部族がいる川ってそんな風に辞書には載ってないぞな)くらい違うんだな。
(つづく)
きょうの中1理科。
子 : 「鉄か亜鉛に、塩酸か硫酸ということですが、銅に塩酸でも水素が出ますか。」
光 : 「陽イオン化傾向の小さい銅はこっちの原始人グループに書いた銀と同じで塩酸や希硫酸には溶けないよ。イオン化傾向はすぐに覚えられるからこれを覚えてね。でも、銅は熱濃硫酸には溶けてこの気体が出るね。銀の場合はこうなるね。」
子 : 「陰イオン化傾向もありますか。」
光 : 「はい、あるよ。」
きょうの高2化学。
子 : 「過酸化水素は酸化剤と還元剤の両方になることができるのには何かわけがありますか。」
光 : 「わけはあるね。O原子の酸化数が-2、-1、0ととることができることだよ。」
plus 今日のサラサドライ。
インクの中でもサラサドライはスタメン入りが多い。
今日のサラサドライもサラサラと書きやすかった。
20年くらいはsignoしか使わなかったがここ数年はサラサの方が使うことが多くなった。
サラサの黄金色を入れている木軸は、いちばん好きな木、コア。虎杢が美しい。
plus自分流で何でも取り組む子がいてあまり人の話を聞いていない。
メモもとらない愚か者だと一見思うが二見さん三見していると自分で考えることをとても大事にしていることがわかる。
同じことを真似するだけではコーチと同じところまでしか辿り着けなくなるが独自の仕方で追及していると自分の中でいろんなところに考えが行き巡り電流が走り流れるようになる。
今日の小学生英語
appreciateって複雑だからあまり使わなさそうです。
ひかり: ちゃうちゃう、逆にかんたん。
preciousが中に入っているから。
大切さがわかるって、書いてあるから。
光子 : 語源ってすげーです。