なにかをやるならやらないことを犠牲にする。やらないならやることを犠牲にする。サルトルとか実存主義を持ち出すまでもない。
言い出すとか、動き出すとかは勇気がいることだと思う。ぼくは勇気ある樋口先生には注目させていただいている。
19の日企画に関しては応援したい人が応援する、応援されたい人がメッセージを読む。
書いてあるのは不特定多数向けなわけだから読みたい人が読みたいときにだけ読んでみる。
読むも読まないも自由だし、こんな企画に賛同するもしないも自由だとぼくは思う。
ぼくはみなさんの記事を読んだがそれは趣味の問題だろう。ぼくがたんに塾ブログ好きなだけだ。それ以上でも以下でもない。その証拠に今回は非参加者の方々の記事も、もちろんそのまま毎日のように読み続けている。
(ネットワークといえば大手は各教室がネットワークであるしいまや大学受験予備校と中学受験塾がむすびついたMAの波もある。)
こういったプチ・ネットワーク的意図は、かち~先生がご指摘のようにあるかもしれないしないかもしれないと思うが、それがなければ応援メッセージが一度にかくもあつまらなかったろう。
ネットワークとは参加したい人が参加できるWeb社会のメリットとしてぼくは否定の立場はとらない。
参加するもしないも自由でフラットであるという、この対等な関係性がぼくは嫌いではない。
以上が、19の日企画に参加したヒカリの個人的な意見だ。
(たしかこの記事は明け方にアップしたはずだったのだができていなかった)