ぼくは通るとか通らないとか不確定なことを子供に言うことはしない。
チャンスはあるかもしれないし、ないかもしれない、それは誰にも分からないことだ。
合格するかしないか、結果は二種類しかない。
50パーセント?
合格側に入るために圧倒的な力をつける。
そんなことしか考えなくていいよ。
チャレンジ校とか実力相応校とか抑え校とか、そんなものをいったいどうして信じないといけないのだ。
たとえば任天堂の採用試験を受ける。
採用されるかされないか、どちらかだ(50パーセント)。
採用されるために過ごし専門知識をつけたしかるべき人が採用されるのだ。
定員が多い場合はなおさらだ。
宝くじでもない。
上位合格を目指してやれば、たとえ体調が当日悪かろうが合格最低点以上にはおさまる。
通ることを目標にしていてはいけない。
通って自分がどうなりたいのかそれをいつもイメージしておけばよい。
学校は終点ではない。
学校は通過する場所だ。
学校は楽しむ場所だ。
テニスコートのある公園みたいなものだ(公園?)。
どこの公園でも素晴らしいテニスができる。
むしろネットにラインに、コート、どんなものを君がその公園でつくりあげるつもりなのかが肝心なのだ。
学校から何かを与えてもらおうという幻想はすてさろう。
君が学校でなにを身につけるのか、それが大事だ(大事マンブラザーズのようにたくさん大事なものをあげながら)。