上尾市にある学習塾 セルフラーニング光塾

浦和 大宮 浦和第一女子 東大京大進学指導. 小学生, 中学生, 高校生のための私塾. 難関校進学の夢をあきらめないあなたを東大出身プロ講師がサポートします. 無学年式でいまの位置と志望校の入試をクリアする2地点をスロープ状階段状につなぐカリキュラムを利用して、セルフラーニングで勉強を進める個別指導学習塾 光塾は, 上尾市内の, 桶川市との境めにあります。

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大学の入試の基本方針 東北大学の入試の公平性を見よ plus 有名人しか来ないファミマ plus ヴォクのネット= gmail + seesaa + geocities

あのね、この入試に関して東北大学の判断がまともだと考える。入試は公平性を保つことが確保されなければならない。今回の東北大学の方針に賛同する。
まともな入試をすることがしっかりした人を惹きつけると考える。東北大学の入試の公平性についての考え方をよく見ておきたいと思う。
受験生はまともな入試をする大学を自分の目でよく見極める必要がある。自分でしっかりと入試制度を見ることが自分を守ることにもなる。
誰が採点するのか、どんな入試を課しているのか。誰がどう採点するのかは重要である。
入試問題はどのようなものなのか。
記述式なのか、論述試験なのか、選択式なのか、どうなのか。
時間は十分に長いのか。短いのか。
試験時間は十分に長いのか、形式的で短いのか。
大学が大学入試を行なっているのにはわけがある。
大学はどんな入試を行なっているのか。
入試を見れば大学の一部が見える。
東北大学の入試問題に感動させられる。
センターに丸投げのなんのポリシーもないだめ入試問題の真逆にある。あのね、東北大学の入試の行い方にヴォクは光を見ているよ。
どんな入試を行う大学を受験したいのか。
なぜその入試を行う大学を受験したいのか。
真剣に入試を見ればどこがまともな大学なのか見えてくる。
入試制度が変わるこの年を境に大学も全力で入試を改良しているところがある。そういう大学を見極めるのも受験生のやるべきことに含まれている。
ヴォクが大学の受験生だったとき、こういう入試を課してほしいという大学を探した。
いくつもいくつも大学の入試を調べていくと驚いたことに大学によって論述の長さがまったく異なり、大学によって試験時間や形式は千差万別であった。
入試問題を見れば大学が受験生に求めるものを知ることができ、受験生も大学を選ぶことができた。
今は仕事がら大学の入試問題を見続けている。
各大学の入試の過去問は40年分ほど遡って収集し分析している。途中大きく様変わりしてきた大学が目立つが、方針としてはあまり変わらない大学もある。
入試問題の質自体は年々洗練されていく。たんに難化させるだけなら制限時間を短くするなど形式的な条件で調整できるが形式を変えなくとも問題の質自体をよいものにして差のつく実力差のわかる名問を出題する大学がある。後出しジャンケンと同じで後から作られる問題は前に作られた問題よりも良くなることが多いはずだが、今振り返ってもオリジナリティのあるよい問題だったなとため息の出るようなよい問題もある。
名問、良問になったかどうかは入試の流れと背景の中で決まる。
いくらよい問題でも数年前にいろいろな大学で出題されたばかりということでは公平な問題にならない。
まだ決まらぬうちは購入、所有しなくともせめて過去問をじっくり読むだけでもどんな入試を行う大学なのか見て知ることができる。大学によって問題が違うことを受験生はよく知っておいた方がいい。模試と入試問題の本物はまるで別物である。
模試は模試。入試ではないよ。
じっくり見てじっくり解いてじっくり選んでしっかりとした入試を行う大学を受験し、しっかりとした実力を答案の中で示せるような入試にしたいものだ。
plus
慶應慶應義塾大学の入試にも独自のポリシーがある。
慶應大学の入試には独自性があり多様性がある。学部ごとに入試をこう実施するという明確な考え方を打ち出している。多くの受験生を魅了してやまない。
plus なんかカバンがでかい子が多い。
その本使うか?というのがいっぱい入っている。
なんだか悪いがかといって無駄にページを指定して開いてもらうのも悪いしな。
登山に行く前にここに寄ってるのか?
連絡帳が分厚すぎる。
入会以降のすべてのページをはさんだままにしてあり10年日記みたいな分厚すぎる感じになっているぞなもし。
鶴丸で言うところのブタカバンだな。前にも書いたと思うがカバンが厚いとカッケーという校風だった。なぜかメガネケースの中にもう一個メガネを入れている子がいる。そんなにメガネが好きなのか。うーん、突っ込まないでおこう。
plus
MacBookとiPadのsidecarにはまいった。最高の使いやすさだ。
plus youtubeにあがっているFU MIの「有名人しか来ないファミマの入店音弾いてみた」聴いた。感動した。
plus gmailで質問が来たら8分以内に返信するのを心がけている。自分が待たされるのが嫌いなタイプなのでなんとなくそうしている。
でも返事がはやいと言われたことは今までIくんからの一度しかない。きっと当たり前なことなのだろう。
本でわからないことがあるときどうやったらよく読んでなんとか自力でわかるようになるのかという方法案も含めて返事している。ただ答えを書いて送るというようなことはあまりしない。それだけなら3分でもできそうだ。
Gmailに書くことはいつ誰に見られても間違いのないようにということをヴォクにしては珍しく心がけている。お笑い要素は授業中と比べて正反対で0。絶対にボケない。歌わない。探し物は何ですか〜♩と授業中は歌うがメールでは絶対に歌わない。授業中はいい誤答があったらできるだけツッコムがメールではいささかもつっこまない。光子のご家族が読むことはないだろうが百一、星野仙一、万一あってもよいような文面に仕上げている。
そこまでするのでどうしても8分平均くらいになっているというわけ。
そして1つだけこだわりがある。自分からメールを送ることはない。1対1対応の返信しかしない。
これには深い訳があるのじゃが、それについてはまたの機会にといってもそれじゃあまたっていつね?となるじゃろ?
うーん、メールを出すのは好きじゃないのよね。なんかこう迷惑メールがいっぱい来るのが嫌なのと同じでつまらないことをいちいちメールしなくてもこっちで必要なことは問い合わせるよと思うところがあってさ。お節介はしない主義なわけ。
本を持ってきてほしいと思ったら代わりに強く願えば届くよな。な?
plus
英国の教育専門誌『Times Higher Education(THE)』まとめの日本の大学の教育力には興味がありチェックしている。光の高校生が受ける大学が「THE 世界大学ランキング日本版 」にもあっただろうかと。とくに東北大学と一橋大の動向をチェックしている。
plus 
ヴォクの(今は)好きな先生はヴォクがさぼるとレジュメを肉声でカセットに録音して送ってきた。
なんともしつこい方だった。
その方の真似ではないのかあるのか、いや真似になるのだ。
光を始めて以来書くのがめんどうなくらい長文になることは録音して送るようにしている。
声を送るよりは文章に書く方が楽なのだが入力するよりも少しだけ速いのであまりに大量の場合には授業と同じように、コメント全部をもう録音してしまう。楽ではないが速く済む。時間が得られるので捨てがたい。
画面録画ができるようになってからは画面に書いて録画しながらさらにコメントをつけることをしている。
書くとなると推敲に時間がかかるが画面録画となれば早く済む。
plus 問題演習をしていてうまく解くなーとうっとりすることはできるのですが、鑑賞しているようでいいのでしょうか。解法を真似してできるようにしっかり意識していますが大丈夫でしょうか。
ダメだね。その問題が綺麗に解けること、うまく解き切ることはもちろん目標のうちの1つでしかないんだ。
問題演習する意味は、新しい問題に出会っても通用する自分の取り組み方、アプローチをより大きな技に磨くことだよ。
ざっくり言ってカメハメ波ってあるよな。あのカメハメ波をカーメーハーメーハーって構えて出すんじゃなくってメハって感じでさくっと出せたらもっといいよな。
ためてためて出して勝つのは盛り上がるから漫画としてはいいけど実戦なら構えるまもなくさくっと出してしまえばいい。
だから技を使うべきシーンを見ておいたり、技を出す必然性を考えてみたり、その技が有効な場所を見ておいたりすることも大切なんだ。
よくどうしてそう解くのかが大事といわれるけどカメハメ波みたいな大技をいくつか持っていてこの相手にはこの技がよく効くという引き出しの整理、引き出しの取手を磨いておくような作業には力を入れておくといいよ。
それが解法に磨きをかける演習法なんだ。
将棋の定石というのがあるね。将棋なら定石と新奇の手を比較検討熟考して進めていく。
定石はどういうシーンでどれくらい効果があるのかを振り返って検討しておくことで次の似たような局面で定石を利用するか否かの視界がより広くとれる。
そのようなことはインプットだけの学習、真似だけの学習では生まれてこない。
自分の解いた道筋を鏡に写しながら一手いって検証して振り返る。省みる。自分との対話の中からしか出てこないものなんだ。
先を急いでインプットにだけ力を入れても問題解決力はあがってこないよ。
力を試すという時間を大事にしていくことだ。持っているものをうまく使えば十分にいろんな問題が解けるはずなのだから。
plus gmailを超えるよいメールサービスがなくてずっとgmailしか使っていないみたいになっている。
gmailが生まれてから今日まで毎日。
ジオシティーズも生まれたてのときにホームページ作りでお世話になりそれ以来ずっと使ってきた。ただなのに中身もすごくて、(ただといえばgmailもシーサーブログもそうなのだが)ただでも本当にすごいものはすごい。
いろいろ他のものにも手は出すが結局この3つをずっと使わせてもらってきた。
ジオシティーズなきいまはホームページはもういいやとなっている。
ただほどうまいものはないとはよくいったものだ。失うものがないから支払うかわりに使い倒そうと思うんだよ、水や土みたいなものかな。

plus 星野源さんのことばで好きなのが、コンサートやパフォーマンスの最後に「星野源でしたー」というところ。
え!まさかの最後に自己紹介?とはじめのうちは思ったが、考えてみると人間は毎日生まれ変わっている存在であるわけで今日の星野源はこんなんでしたと伝えるつもりなのかいやよぐわがんねども、とにかくインパクトがあるよ。

ヴォクもお世話になっている方のところを尋ねるときは「こんにちは光です」と必ず名乗る。
今日のヴォクもよろしくお願いしますという意味を込めてなのか星野源さんの真似なのか。

卒業した子のアドレス個人情報すべて削除していてたまにgmailが来ても誰かわからないことがある。
そういう方には是非真似してほしいなーと。(いついかなる場合でも差出人の名くらい名乗るのは当たり前のような気もする。一方で名乗るほどのもんじゃありませんというのもカッケーけどね。)

めっさ勉強が上手な人が連絡帳に「初心者です」というシールを貼ってた。あれも星野源みたいなものか。
こちらとしては教えるようなことがあまりない気がしているのだが。そもそもその子はどんな先生からも学んでしまうくらい学ぶのがうまく自分で自分に教えるのがうまい。いろいろ勉強の仕方をヴォクの方がインタビューして教えていただいた。
とにかく個性的な人で個人情報になるのでほとんどここに書けるようなことはないが影響を受けたことは隠せない。

ほなね。