ある子に昨日見学している部活動を教えてもらった。その中にテニスという言葉があったがテニスにしてーとは間違っても言えない。ヴォクは選ぶ人ではない。
コーチえのもとはボールを長く運ぶことをくらやみトーク中にも練習中にも何度も何度も教えてくれた。
力だけで打ってもいい球は打てんぞ。
ボールを長く打ちなさい。
ボールを押し出すようにラケットを長くボールにつけなさい。
力積という物理の言葉こそ彼は使わなかったが高校生になって物理の教科書でそれを知ったときにこのことだったのか!と知った。
ラケットのフォロースルーを大きくとって前に押し出すようにもラケットを運ぶ選手の球は方向もスピードも回転もすべてがよかった。
ラケットで長い距離ボールを運びなさい。ラケットで運ぶ時間は長くとりなさい。のちに落合の超野球学の中でも読むことになったわけだが、当時はそれらの理屈が運動方程式や仕事(力の距離的効果)や力積(力の時間的効果)と関係していただなんて気づきもしなかった。ただなんとなく物理的身体的にそうするとうまくいく原理なのだと感じるだけだった。コートの上では数式や計算がなかった。数式による証明を体験することはなかった。
長く打つのと短く打つのを交互に試すと必ず前者の方がよい球がいった。テニスに数式はいらなかった。飛んだボールの速さと勢いとが何よりの証明だった。頭で考える必要がなかった。そうした方がいいということは直感的に納得することができていた。あまりにいい球が行くのでなんでそうしたらいいのかまでは考えられなかった。コーチえのもとが言うことに疑問を持ったことなどただの一度もなかった。あの頃の純真をヴォクは今も持っているのだろうか。
なぜそうするといい球が行くのかまで根拠などはわからなかったがとにかくここは守れというコーチえのもとが毎日言っていたことだけは疑うこともせずとにかく守った。いい球が行くと身体が喜ぶ。疲れると無駄な動きなどできなくなった。無駄のない理にかなったコーチえのもとの伝える基本は身体に染み込んだ。
逆にボールをパンっと打つようなフォームやボールを瞬間的に打ち返すような打ち方はどうやってもできなくなっていた。
部員の全員がその基本を守っていたため、ヴォクらのラケットは回転しながらもボールを長くつかむような打ち方をした。
「壁をつくり駒のように回転しなさい。」
「インパクトの瞬間にだけ力をかけなさい。」
「ボールを押し出しなさい。」
ぼくらの頭の中はコーチえのもとの言葉だけで埋め尽くされていたんだ。
plus ヴォクの仕事はハンマー投げ
小さいときに会う。純真に純真で応えたい。螺旋状に会うたびに発見があってあってもあっても発見がなくて諦めずに螺旋運動できるように力を加えたり離したり話したり見たり見なかったりする。
期待に期待で応えたい。準備は複雑化してゆき目が周る。ときにこうをそうしときに無効になり、あるときは笑いあるときは泣いたりもして。
廻れまわれーよ、高く廻れ。
もういいか、まだか、そろそろいいか、まだか。
いつしか等速運動になっているときを夢見て力を加えて。
もう力は加えていないよ。
ヴォクは中心から引っ張っていないよ。
外に出て見ているだけだけれどもう等速運動しているのではない?
いまだ。いま手を離してももう遠くまで飛んでゆける。
さようなら。
plus 本を読むのに電子書籍が多くなった。若い頃は電気をつけてというのが大変であまり書きたくないがたしか前にここにも書いたが電気が布団をもやし焦げたりした苦い思い出もある。火事でなくてよかった。
電子書籍のメリットは電気がいらないこと。いらないといっても電子機器の方の電気を使うわけであるのだけど。
目に優しいモードもあってなんとも読書好きにはたまらない便利な時代になったものよ。
本は読んだ後にどこにしまうかが悩みで本棚がいくらあっても足りない。紙は重く、おもくのしかかることそれは大問題であった。
いまは本が身の周りには減った。それでも木の本棚を使わないということはないが、本棚にある書物が電子書籍でも読めるというのは何倍にも便利なところがある。
本棚がホームか電子書籍がホームか内容は同じだから合鍵と本鍵みたいなものでそのどちらもケースバイケースで使えるということが大助かり。
だいたい本が読みたいときには今すぐに読みたいわけでその場で1分後には端末に本があるというのが「スピード経営の思考」をもっとスピーディにしたようなものであって、速いの安いのうっまいのー、三拍子揃っている。
その上、試し読みや無料まであるときたらもう本パラダイスとはこのことだ。
plus 新しい版がkindleで出たのがうれしかった。思考力はセンスではないに同意する。Ⅲが待ち遠しい。指定図書にしよう。NEW ACTION LEGEND 数学I+A(本編) ニューアクション
plus 寄せ植えしてみた。
題 「つる性用の登り竹と」
うちの庭のローズマリーが茂っていい感じ。
plus 開店以来お世話になっている床屋があるのだが、そこには店長の理髪師さん以外にも複数のスタッフがいて本来は指名ができない。朝一に万一1番をとっていない場合には順番に案内される。
基本的には自分の髪は自分でカット。これヴォク流。しかし、イチローのように切って欲しいときがある。そのような場合、ヴォクは朝早くにいって1番札をとっていつも店長さんに切ってもらっているのであるが、もし番号がずれた場合は本来は選べないのでどの人に担当してもらうのかは運である。
しかし店長さんは順番がずれた場合でも顔剃りタイムなどでうまく調整してヴォクのカットをしてくださる。
3mmのイチローでといっても、同じ3mmにもいろいろあるのでやっぱりヴォクは店長さんのカットがいい。
だからすごく助かっている。
余計な負担をかけないようしっかり1番札をとろうという話。
plus ブログのアクセス
たまに何か書くとあとでふと気になってアクセスを見る。シーサーはいろんなデータが無料で得られる。1日のアクセスが3000、5000とあるとまた何か書こうという気になる。かな。何でも見られるってことはありがたいこと。
plus 英語の学習法
英語の読解の学習法を伝えるときにヴォクがいつもやる伝え方がある。
目の前で子どもの持っている英文ページをどこか適当に開いて一回音読する。子どもはただ見て聞いている。
今度は紙を子どもに渡してヴォクは紙をみないで目隠しして英文を読む。
A4用紙ジャスト1枚分くらいを全部スラスラ言うだけ。
次に本を机に置く。
その上に消しゴムを8つくらい適当に紙の上に投げる。
消しゴムがたくさん集まっているところで英文を消しゴムが隠したままでもヴォクが読む。
消しゴムの下にあった英文があっているか消しゴムを取り去りながら。
やり方はかんたんで反復に鍵がある。語学が得意になる方法のひとつ。
plus 本を読んで独学するのと授業を聞いて勉強するのとで最大の違いは前者が自分の知りたいことに焦点をあてるということである。
したがって読み勉のときにはスピードも読み順も変幻自在、へーと頷いたりそっかーと感動してため息をついたりやったーと2年考えてわからなかった疑問点が書物に書かれていて読んでわかって氷解し感動の渦と波とに包まれるなんていうこともある。海の真ん中でとったどーと叫ぶような感じ。
この感覚や体験が重なるにつれ教科が得意になってゆく。
授業というものは教える人の目的にしたがって進行するのに対し本を読む場合には書き手の想いもさることながら読み手の思いで決まる部分が大きい。
本を読むときは期待してじっくりと味わいながら読むといい。ものすごい書物には定置網のように仕掛けと創意工夫が張り巡らされている。
よく読めば得られるものは計り知れない。(定置網勉つづく)
いまは社会人になっている光子でこんな子がいた。
彼は夜に本を2、3冊読んでから寝る子だった。
読む子は育つという言葉は彼を見て思ったことなのだが、彼曰く眠れないときは時間がもったいないからとにかく本を読んで過ごしていると。
村上春樹から受験参考書から雑誌の類まで床について(go to bed)から眠りにつく(go to sleep)までの間に本を数冊読んでいるということだった。
高校では学年の成績はトップ校でもほとんど全部1番で全教科が得意だった。
読む勉強は自分のわかるものを選んでおもしろい順に進めることができるのでハマっても違う本に移行すればよいだけで止まらない、結果進むすすむ勉強が進むという感じだったようだ。
読み勉には良い点が多いがひとつに速く進むということもある、そんなことを彼を見ながら思った。
plus
小学生の時以来、千葉から片道90分かけて来ている光っ子。東葛飾高校のシラバスをもってきてくれた。毎回写真でいいというのにわざわざ製本なさってくださった。サイン入り。シラバスさえあれば学習は自分で組み立てやすくなる。最重要資料なのでありがたい。
入学予定の大学の入試科目を見つめると普段何をしたらよいかが見える。
高校のシラバスを見たら試験ごとにどこを強化しておけばよいかわかる。
シラバスより貴重なバスはない。ほかのバスもないけど。