自分でできる子にとって必要なものにノート、教科書、問題集というものがある。
問題集については多ければ多いほどよいかといえばそうでもない。
なぜなら人間に与えられた時間が無限でない以上、多くをやることはすなわち精度が上がらないことをも意味するからだ。
たとえば過去問を30年分1周するのと過去問を10年分3周するのとを単に比較してみるとどうだろう。
答えはかんたんではない。
だからヴォクはテスト前の対策問題の数をよく考える。
あるときは1日20枚を4週間続けるだろう。これはよくある。
あるときはもっと少ないものを絞って繰り返すように指示するだろう。たとえば一つの長文は喉がかれても最低5回は黙読音読を繰り返しなさいと指示する。
またあるときは対策はひとりで好きなようにしなさいと伝える。
逆にやるべき勉強手順に答えがあったらみんなそうするし答えなんかないからおもしろい。
かつて栄東からお茶大に進んだ方が中2から高1の頃にやっていた勉強法は斬新なものだった。ヴォクは驚いてそんな勉強法をつくったのか!とのけぞった。
教科書の中の自立語の全部にチェックペンを入れる。自立語というのはご存知の通りそれだけで意味を持ち従って文節をつくる言葉である。かくして歴史の教科書は助詞助動詞を除いて真っ赤だった。
それを緑のシートで隠してひたすら暗記。
彼女は日本史がそれでいつも満点近かった。
憶えるまで覚える。根性という言葉がよく似合う勉強スタイルを彼女は作り上げてゆき高2、高3になるとさらに進化していった。
その話もまた書きたい。
話戻って、問題集は多ければ多いほどいいとは思わない。
必要なものをセレクトしたらそれが身につくまで繰り返す。
そういうスッポンみたいな姿勢が学習には不可欠なんだ。
あずかった小学生全員にこれを伝えている。
テストの準備と対策は自分でできるようになってほしい。
だから定期試験の過去問は絶対に一枚も手渡さない。
いま持っている教科書と問題集、こたえはこの中にある。
一問解いたら知識なら覚えるまで問題なら自力で解けるまで繰り返して復習せよ。
しかし一回の復習でマスターするにはどうしたらいいかも同時に考えよ。
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「この」は掛詞で。
あれ、カテゴリが見当たらないなぁ。
カテゴリが多すぎるのも問題だ。
メニューは「ラーメン」しかないラーメン屋みたいにカテゴリなんかないのがいいのかな。
ほなね。