上尾市にある学習塾 セルフラーニング光塾

浦和 大宮 浦和第一女子 東大京大進学指導. 小学生, 中学生, 高校生のための私塾. 難関校進学の夢をあきらめないあなたを東大出身プロ講師がサポートします. 無学年式でいまの位置と志望校の入試をクリアする2地点をスロープ状階段状につなぐカリキュラムを利用して、セルフラーニングで勉強を進める個別指導学習塾 光塾は, 上尾市内の, 桶川市との境めにあります。

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コーチ・えのもと (17)plus アインシュタインが息子に書いた手紙 plus 小論文入試への備え方 plus ヴォク自身の考え plus ユニボール シグノ 極細0.38mm

365かける2といくらかの歳月をかけて毎日まいにちコーチえのもとがぼくらに教えたことはテニスであるとばかり当時は思い込んでいた。 ぼくの練習メニューの1つめだったスマッシュは250本が日課だった。1本でもネットにかけたり的から外したりしたら1本目から数え直しだった。 彼は打ち方についてしゃべりかけながらぼくらにたくさんすぶりをしてみせた。 スイングや身体の動きに関してはゴルフと野球と卓球の話が多かった。 テニスもゴルフも野球も同じこと、というのが彼の持論だった。 クラブとバットとラケットで身体の使い方が同じだという彼の理論が正直なところ、ヴォクは今でもよくわかっていない。 彼はぼくらにてっきりテニスを教えてくれているのだとばかり思ってた。 でも違った。 いまになって思えばそんな技術的なものではなかった。すぶりにごまかされていた。 実際彼が球出し以外ではラケットをもつことはなかったし彼はテニス初心者でフラットにラケットを持つことすらしていなかった。カットボールしか受けた記憶がない。 彼のベンチにはテニスの本が置かれていて、彼が折り目をつけたドッグイヤーのページを開いて確認するシーンを目にすることは少なくなかった。 彼は一日の終わりにはいつも筋肉痛だったんじゃないか。 あんな下手くそな手打ちで何百球千球も球出しのため打っていたら肘も肩もがいたくなったに違いない。そのそぶりすら見せなかったけれど。 彼はぼくらにいったい何をしたかったのだろう。 その問いがいつものように気になって仕方がない。 耳にタコができるくらい聞かされた「30になったらわかるからやれ!」の言葉を信じやったが、わかるまでに15年も必要なかった。 18歳になるまでにはそれはもうぼくらの信念になっていたんだ。 成し遂げるための方法がそのことを除いて他になにひとつないということは、もはや疑いようのないくらいにまでしみついていた。 コーチえのもとはぼくらにテニスを教えてくれた(ように見えていた)。 そしてすべてを教えてくれた。 ついでに少しだけ筋骨たくましくもしてくれた。 コーチえのもとは、ひとつの物事に打ち込むことをぼくらに教えてくれたんだ。 ボールの打ち方なんてもんでなく。 夏休みになると練習はいよいよ本格化した。練習スケジュール表などというものはない。休みという文字はコーチえのもとの辞書に存在しなかった。 雨のたまる日以外は朝6:00からボールが見えなくなるまで毎日外のコートで練習、大雨でコートに水たまりが多い日は自主練を体育館でやった。 夏が来るとまだ暗い空の下、自転車をこぐ田んぼのあぜ道の記憶があの草の匂いとともによみがえる。 帰りはもっとまっくらでハンドルが曲がってライトをうまくさせずよく田んぼに落ちた。足ががくがくで自転車をこぐ力も弱々しい。 ほっとするのは12:00から13:00の休憩のときだけだった。 喉がかわきすぎておにぎりひとつ食べるのがやっとで繰り返し繰り返しポカリスウェットを飲んだ。 そして階段の陰で空を見上げた格好のまま目を閉じてとにかく休んだ。 もうこのままずっと休憩だったらいいのにと思っても13:00になると集合〜〜〜の声をかけねばならなかった。 コーチえのもとがぼくらに挑んだ闘いは夏の猛練習だった。 一日経つごとにぼくらはたしかにうまくなった。 あのときだ。練習すればするだけ絶対にうまくなるということに気がついたのは。 家に帰りつくと地下から出る水のシャワーを頭にかけた。 まるでスイカを冷やすみたいに長い時間水のシャワーをかけた。 夏休みに、部員の全員がテニスのフォームが同じようになり程度の差はあれみなうまくなった。 程度の差はあれみな真っ黒の肌になった。 夏の試合でも、日により焼けているチームが勝った。 あれだけ練習して負ける方がおかしいと誰もが気合でボールを打った。 負けるわけがなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

plus 防衛大入試、医学部面接、都立日比谷高校入試など小論文試験や面接試験のある入試の準備で。
小論文試験のある場合、面接試験のある場合に、練習は、やらない。相手はプロ中のプロで学生、先輩方と日々向き合っている方々。つくったような対策などしても何の意味もない。
小論文を書く代わりに文章をいっぱい読む。要約を何年間も書く。長い文章の要約さえできないうちに難問を何問解いてもたいして意味がない。そしてもっとずっと根本的なこととしてラブレターのそれのような心のこもった文字を書くということが筆記試験において重要ポイントになる。
どんな問題が出ても、あなたが日々ニュースを見て思いを募らせてきたこと、あなたが日々生きて考えてきたこと、あなたがいまどうあるのかを堂々と見せたらいい。どんな問題が来てもあなたはあなたの考えを示したらよい。小論文を課す方はあなた自身をふつうの試験よりも少しでも深く知りたくてそれを問うているのだから。
あなたが読んできた書物があなたの栄養になっていてあなたが観てきた映画があなたの考え方に影響を与えてきて、あなたの接してきた人たちがあなたに影響を与えてきた。今度はあなたが面接で相手に影響を及ぼす番だ。
いつものあなたを見せたらいい。
plus アインシュタインの言葉 気になったので引用
I am very pleased that you find joy with the piano. This and carpentry are in my opinion for your age the best pursuits, better even than school. Because those are things which fit a young person such as you very well. Mainly play the things on the piano which please you, even if the teacher does not assign those. That is the way to learn the most, that when you are doing something with such enjoyment that you don't notice that the time passes. I am sometimes so wrapped up in my work that I forget about the noon meal. . . .
君がピアノを楽しんでいることがぼくはとてもうれしいよ。ぼくの意見では、君ぐらいの年の子はピアノと大工仕事が最も追求すべきことで、たとえ学校よりももっといい追求すべきことだ。なぜなら、それらは君のような若い人にとても合っているから。ピアノの先生からたとえ指定されなくても、自分が楽しいと思う曲を主に弾きなさい。それがもっともいっぱい学ぶ方法だ。楽しいことをしていると、時が過ぎるのも忘れてしまうだろう。ぼくもときどき、仕事に没頭しすぎて、お昼ご飯を忘れてしまうことがある。
 
plus 
ヴォク自身の考え
 
「子どもに勉強しろ」と言えば子どもは勉強しなくなるよ。
だってさ、勉強はもともと楽しいもんでしょ?
違うの? ねー 、何か違うかな?
子どもがせっかく楽しんでいるものを横から入って奪うのはだめ。
 
plus 文具マニアの1人 卒生のSさんが久しぶりに来た。
ヴォクを驚かせるプレゼントがあるので会ってくださいと手紙に書いてあったのでどんな新しいズクかと待っていると、ユニボールシグノの48色セットだった。めっさ驚いている。自分の分と2つ予約していたとのこと。
お返しには何がいいか思いつかなかったがsignoにはsignoでカリカリいい音が鳴るような木軸を。
うれしいがもったいなくて使いにくい。
飾っておくしかないのか。大切に使って軸だけでも保存しておこう。
signoは20年ずっと使っているがこれよりよいペンには一度も出会ったことがない。ヴォクの感想。
 
plus 今日の小学生。
また厳しいことを言いすぎてしまった。
その場で思ったことをどんどん言うのがヴォクのスタイルなので後で寝られずに振り返る。
そんなときふと以前のブログ日記を読んでみて前はどうだったかなと比較してみることがある。
ぼうっと次のような記事を読み返していて気づいたことがある。
 
(ある日の日記はじまり)
 
(原文まま)
 
とある。偶数日ばかりなのには深い訳があるようだ。解き直しをする日は整数の2倍の日を数学の日とすると決めていたのか。本人が高校2年生だった頃に曰く、奇数の日には新しいのを予習し、偶数の日は復習する日にあてていると。
どの問題をどれくらい解いていたのかがよくわかり、難易度もわかるので参考になる。
小学生だった頃はせめて7回間違えるまではやれ!
○なんかつけるな!! 答え合わせすらできないの? きょうで何回め? 数えて。
 
本がもったいない! ヤギにあげろ! 紙のむだ。ムダムダムダ。
 
わかった後で見て真似するだけじゃだめ!わかった後はかんたんに見えるのは当たり前だろ!わからないのがわかる瞬間を増やせ!
思いつくまで粘れ!
 
いつだれが赤ペンで書けと言った? 自分で考えるときは黒だ!
 
字が薄い 次やったらボールペン縛り 
 
なんで1ページしか進めなかったと思う?
 
ステーキを食べてたほうがましじゃない?
 
 勉強やってなくて書写かっ! 
 
答え写して何がしたいの? と何度も同じ内容で怒鳴りつけていた子だ。思い出すだけでも悪かったなー、大人気なかったなーと思う。なぜかこの子はめげながらもついてきた。将来やりたいことがあるのできちんとやれるようになりたいと言ってたのは本当だったようだ。中1の半ばくらいからはあまり伝えるような基本的な学習法はなくなってきて、その後は教科の話しか授業中にはなくなっていたように思う。
 
この分厚い問題集のすべての問題を平均9回くらいは解いているようだ。
7周までは数えていましたと言っていたのだがたしかにそうだったのだね。
貴重なテキストをありがとう、ありがとう。
 
予習と復習を半々にするというのは独特な工夫で真似したいと思った。ここ足音にも書いておこう。
 
(ある日の日記おわり)
 
前はこんなに優しく指導してたのか。
いまは5倍くらい厳しくなってるかな。(自分比)
 
うーん、うーん。
とりあえずその子次第で相手がないと方針も何もあったもんではないがこの頃くらいまで優しいモードで授業してみようかしら。
将来振り返って何かに役立つかもしれない。
最近の様子もたまに書いておくことにしようと思う。