365かける2といくらかの歳月をかけて毎日まいにちコーチえのもとがぼくらに教えたことはテニスであるとばかり当時は思い込んでいた。 ぼくの練習メニューの1つめだったスマッシュは250本が日課だった。1本でもネットにかけたり的から外したりしたら1本目から数え直しだった。 彼は打ち方についてしゃべりかけながらぼくらにたくさんすぶりをしてみせた。 スイングや身体の動きに関してはゴルフと野球と卓球の話が多かった。 テニスもゴルフも野球も同じこと、というのが彼の持論だった。 クラブとバットとラケットで身体の使い方が同じだという彼の理論が正直なところ、ヴォクは今でもよくわかっていない。 彼はぼくらにてっきりテニスを教えてくれているのだとばかり思ってた。 でも違った。 いまになって思えばそんな技術的なものではなかった。すぶりにごまかされていた。 実際彼が球出し以外ではラケットをもつことはなかったし彼はテニス初心者でフラットにラケットを持つことすらしていなかった。カットボールしか受けた記憶がない。 彼のベンチにはテニスの本が置かれていて、彼が折り目をつけたドッグイヤーのページを開いて確認するシーンを目にすることは少なくなかった。 彼は一日の終わりにはいつも筋肉痛だったんじゃないか。 あんな下手くそな手打ちで何百球千球も球出しのため打っていたら肘も肩もがいたくなったに違いない。そのそぶりすら見せなかったけれど。 彼はぼくらにいったい何をしたかったのだろう。 その問いがいつものように気になって仕方がない。 耳にタコができるくらい聞かされた「30になったらわかるからやれ!」の言葉を信じやったが、わかるまでに15年も必要なかった。 18歳になるまでにはそれはもうぼくらの信念になっていたんだ。 成し遂げるための方法がそのことを除いて他になにひとつないということは、もはや疑いようのないくらいにまでしみついていた。 コーチえのもとはぼくらにテニスを教えてくれた(ように見えていた)。 そしてすべてを教えてくれた。 ついでに少しだけ筋骨たくましくもしてくれた。 コーチえのもとは、ひとつの物事に打ち込むことをぼくらに教えてくれたんだ。 ボールの打ち方なんてもんでなく。 夏休みになると練習はいよいよ本格化した。練習スケジュール表などというものはない。休みという文字はコーチえのもとの辞書に存在しなかった。 雨のたまる日以外は朝6:00からボールが見えなくなるまで毎日外のコートで練習、大雨でコートに水たまりが多い日は自主練を体育館でやった。 夏が来るとまだ暗い空の下、自転車をこぐ田んぼのあぜ道の記憶があの草の匂いとともによみがえる。 帰りはもっとまっくらでハンドルが曲がってライトをうまくさせずよく田んぼに落ちた。足ががくがくで自転車をこぐ力も弱々しい。 ほっとするのは12:00から13:00の休憩のときだけだった。 喉がかわきすぎておにぎりひとつ食べるのがやっとで繰り返し繰り返しポカリスウェットを飲んだ。 そして階段の陰で空を見上げた格好のまま目を閉じてとにかく休んだ。 もうこのままずっと休憩だったらいいのにと思っても13:00になると集合〜〜〜の声をかけねばならなかった。 コーチえのもとがぼくらに挑んだ闘いは夏の猛練習だった。 一日経つごとにぼくらはたしかにうまくなった。 あのときだ。練習すればするだけ絶対にうまくなるということに気がついたのは。 家に帰りつくと地下から出る水のシャワーを頭にかけた。 まるでスイカを冷やすみたいに長い時間水のシャワーをかけた。 夏休みに、部員の全員がテニスのフォームが同じようになり程度の差はあれみなうまくなった。 程度の差はあれみな真っ黒の肌になった。 夏の試合でも、日により焼けているチームが勝った。 あれだけ練習して負ける方がおかしいと誰もが気合でボールを打った。 負けるわけがなかった。
とある。偶数日ばかりなのには深い訳があるようだ。解き直しをする日は整数の2倍の日を数学の日とすると決めていたのか。本人が高校2年生だった頃に曰く、奇数の日には新しいのを予習し、偶数の日は復習する日にあてていると。
どの問題をどれくらい解いていたのかがよくわかり、難易度もわかるので参考になる。
小学生だった頃はせめて7回間違えるまではやれ!
○なんかつけるな!! 答え合わせすらできないの? きょうで何回め? 数えて。
本がもったいない! ヤギにあげろ! 紙のむだ。ムダムダムダ。
わかった後で見て真似するだけじゃだめ!わかった後はかんたんに見えるのは当たり前だろ!わからないのがわかる瞬間を増やせ!
思いつくまで粘れ!
いつだれが赤ペンで書けと言った? 自分で考えるときは黒だ!
字が薄い 次やったらボールペン縛り
なんで1ページしか進めなかったと思う?
ステーキを食べてたほうがましじゃない?
勉強やってなくて書写かっ!
答え写して何がしたいの? と何度も同じ内容で怒鳴りつけていた子だ。思い出すだけでも悪かったなー、大人気なかったなーと思う。なぜかこの子はめげながらもついてきた。将来やりたいことがあるのできちんとやれるようになりたいと言ってたのは本当だったようだ。中1の半ばくらいからはあまり伝えるような基本的な学習法はなくなってきて、その後は教科の話しか授業中にはなくなっていたように思う。
この分厚い問題集のすべての問題を平均9回くらいは解いているようだ。
7周までは数えていましたと言っていたのだがたしかにそうだったのだね。
貴重なテキストをありがとう、ありがとう。
予習と復習を半々にするというのは独特な工夫で真似したいと思った。ここ足音にも書いておこう。