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北辰テスト返却。試験会場。出題範囲。申し込み期間。| 学習塾 上尾市 plus 受験勉強はルービックキューブ。

中3受験生の受けていた会場模試、北辰テストがかえってきた。点数、作文、問題文や図に書いたメモをしっかり振り返っていこう。ミスを減らす最大のコツは見える化にある。問題文に自分の練習で作り上げてきた解き方の痕跡、しるしをくっきりと書き込むことができていただろうか?
こくよく文字を書き込んでおく(こうよう作戦)ことは試験を闘う上で最高の味方になってくれるだろう。

 

社会は良問。

 

英語は良問。英語や古文で点をとるためには選択肢の一つひとつを勘を排除して根拠を持って解答していたかどうかを思い出して復習する。

その際に選択肢にメモしていた×の場所(自分の引いた波線部)が本番で正しかったかをチェックする。

たとえば、

S、合格して遊ばんと思ひ、勉強しけり。
目的を変えて、「読書をするために勉強した」×

 

S、勉強しければ、合格しけり。
因果を逆にして、「合格したので勉強した」×

 

S、さぼりけれど、合格しけり。
逆接部分をダミーにして、「勉強したが、合格しなかった」×

 

SはCならず。
肯定と否定の入れ替えを行って、「SはCである」×

 

Aのみならず、みなVしけり。
部分と全体をずらして、「VしたのはAだけである」×

 

A、Bへ、文をやる。
主語、目的語を別の人や物にして、「BはAに手紙を送った」×

 

AはXなれど、BはYなり。
対比の対応をずらして「XであるBは、Aより早く来た」×

 

このように、復習の際には選択肢が×である理由を再度言語化しておく。普段から根拠を探すようなトレーニングをしておけば本番でも同じようにできるようになる。

 

理科も良問。大問1 (8) 力の作図は最重要問題。力は1つ前の指導要領、教科書では中3配当だったが現世代では中1配当になっている。
中3で理科の物理を学んでいた子は力学の復習が厚かったはずなので差がつく一題となった。重力を作図する際は慣習的に重心(らしきもの)をベクトルの根本とすることは覚えておきたい。慣習とはそうしないといけない暗黙のルール。暗黙は明示されないので注意しないと盲点になる。教科書を読む際には理由が書いていない疑問点などに関しては?の印をつけておいて、解決しないままの問題点はそのまま未解決問題としてノートに書いておこう。
問題意識を持っていることは関連事項に出会ったときに考え直すことができ解決のヒントになりうる。

大問2 中1・地学
大地の変化 大森公式関連の重要な計算問題。空所補充形式でなくとも解けるように問題をノートに書き直して練習するとよい。入試の時期では受験生のレベルが上がるのでこのような誘導はつかなくなる。「緊急地震速報の発表から主要動が始まるまでの時間」は過去20年での全国的な出題ブームで出題率が極めて高い。

大問4 中2・化学
問5の計算問題、質量保存則は過去20年で最も出題された数の多い入試問題である。どんなに練習してもしすぎることはない。大問2の計算問題同様にこの時期なのでヒントが多く易しくヒント付きと調整されている。

大問5 中2・電磁気
小卒の天才ファラデイの追体験が全国的に過去20年で頻出。「磁界の変化の周りには電流が流れる」というファラデーの電磁誘導の法則の理解が問われる。
問5 のオームの法則と合わせて電磁気を仕上げていたかが問われた。メンテナンスも重要となる社会理科では、不安な分野単元を常時くるくるまわしながらいつどこが来ても大丈夫なように森勉していくようなやり方も必要だ。(森勉については別のところに書いた。)

 

数学も良問。大問1 の中でヒストグラムの出題が頻出する。9月も出題があるだろう。
大問3 関数 動点の名問。入試数学の花形問題。
大問4 図形 (3)は得点差が5点だけつくように配置された問題。

 

国語も良問。大問2 問4 敬語は練習しておけば得点源となる。プラス2点。

 

大問4 古文。徒然草なので読みやすい。徒然草は光の授業でも練習していた通りの同じ出典で入試本番でも鎌倉以降の作品の中では出題が多い。今回の模試ではしっかりと長めの文章を出典としており、その分大問3の説明文の本文出典を短めにとって全体を調整して作問されている。

古文本文の前にあるリード文は本文を読みやすくする出題者のつけた文章で大問全体で最も重要な文である。2回読んでシルシなどをつけてチェックする。

「とて」は省略。「ト言ッテ、ト思ッテ」。
「はべり」と「さぶらひ」は丁寧語。話し手から聞き手への敬意を示す。貴族のお側にオ控エスルの意味の「さぶらひ」は侍ジャパンの侍の語源。もちろん「七人の侍」の侍でも同じ。

「たまふ」「のたまふ」は前回までに書いた通り。「のたまふ」は「の給ふ」とあえて書けば尊敬語であることは同じように眺めまとめられる。もともと「手まふ」からスタートしてみるなら、手でお与えになる→偉い人がお与えになる→偉い人がVなさる、という意味になり、作者から動作主(=為手=Vに対応する主語の人)への敬意を示す。模試でも入試でもずっと尊敬語を含む出典はとられている。尊敬語、謙譲語、丁寧語については積極的に学習しておきたい。

 

(徒に+あり→)徒なり、「徒に」はめっさ重要語。徒然草が面白いのは「徒なる」ことが1000年前のジャパンの国にも今と同じようにあったことを今の人間が想像できるからというのが大きい。光にも獅子舞を二匹向いあって(←重要)玄関に置いている。言わずもがなの、うれしいさあ。大宮高校に進んだ卒生からの沖縄土産だった。

春日部高校に進んだ子からお土産でいただいた赤い文鎮オクトパス(合格率アップ)や川越女子に進んだ子からお土産でいただいた木彫りのフクロウ(しあわせの鳥)も、熊谷女子へ進んだ子が中3の修学旅行先京都で作成なさったという手描きねこの絵の日本一の文字入りのハイセンスなうちわ(扇子だけに)と並んで光三大置物である。

猫の絵、などか、かかる絵と文字にやありけむ、いとめづらし。深き故あらん。ゆかし。

 

ここをしっかりと振り返って夏が始まる。自分のしたい勉強が自分のこころゆくまでできますように。

 

plus 

受験勉強とルービックキューブ。

難問がどうやったら解けるようになるのですか?

ルービックキューブで運でもいいので一面だけ揃えてみてね。悪いけど話はそれからにしよう。

先に何かを語るのは順番が違うんだ。

 

勉強は、それと似ているところがあるよ。

ずっとやってたら運良く揃うことがあってもそれはたまたまできただけで仕組みがわかっているわけではないのではないか?

いや、先にできるようになるまで試行しているので仕組みがわかりかけてはいると思う。

何回もアプローチを試みた。さまざまの角度から眺めた。手を動かしながら。その度に脳の中はこれではだめだ。これでもだめだという可能性を知ったことになる。そして横において寝かせる。

はじめから何もしなかったのとこの一度行き詰まってから寝かせておくとの間の大差が重要だ。

途中で寝かせても寝かせなくとも、

何回か連続で偶然できるようになってきたときその偶然できるまでの時間は短くなっていないかな?

最初は2時間かかって偶然できていたのが次は90分くらいになっていなかったかな?

3回目は2回目よりはほんの少し短くなっていなかったかな?

それは言葉にはできなくても仕組みを体感しているところにいると思うんだ。

寝かせているときに何かが起きている。だめだとなったときに何かが脳内で起きた。

一度もやったことがなかったときよりどういうわけかうまくなっているわけだから。それは原因は脳内で何かが起きた以外にありえない。

運も実力のうちとは言うけど試行していなければ運はやってこない。試行しないと寝かせられないからだ。

寝かせる時に脳は進化する。

 

やってみればだめだとなげき、投げ出しそうになってでも横に置いて寝かせて、そしてまたやってみるうちに運をつかむ回数が増えてきて運と運の中からスパークして言葉にできなくてもどういうわけかではあってもできるようになってくることがある。

二面揃えたことがない人は二面揃える前に諦めてしまうかもしれない。揃えたところで何ももらえないしね。

 

やってみればだめだとなげき、投げ出しそうになってでも横に置いて寝かせて、いったん忘れているようだ。でも2時間も真剣にやってみたものは他のことをしているときでももう脳がアンテナを作っていて何か違うことをやっているときにでも寝かせたことのヒントがあればキャッチしてくれるようになる。ときには数年後に(あたかも)ひとりでに思い付くかのように降って降りてくる。しかしそれは降って湧いたのではなくアンテナを張っていたから捕まえることができたんだ。

 

あるとき暇すぎて他になにもおもちゃがなくてふとまたやっていたら揃ってしまったらそのときにはそれまでに確実に何かのノウハウが頭と手についてきているのではないかな。

運だけではルービックキューブは六面揃うのが難しいからルービックキューブなんだ。寝かせたあとにやってくるものをルービックキューブが引き出してくれる。

 

ピアノでも将棋でも語学でもテニスでもまずはやってみるということがとても大事なはじめの一歩だと思うよ。はじめから思う通りに手が動かないからこそできるようになる過程に意味があってできるようになったあとに気持ちよさを感じるんじゃないのかな?

そして一度身についてしまうと30歳になっても40歳になっても50歳になってもうまい状態が消え去っていないんだ。

それは技術的なものであってコツのようなものは言葉にして説明できる度合いに差こそあれ、とにかく身にくっついているからなんだ。

でもそのコツはこうしてくださいというのをただ真似しているだけでは身につくのはかえって遅くなることさえあり得るんだ。

だから、まずはやってみるということの価値は計り知れない。

ということを、ルービックキューブを一面だけ安定して揃えられるようになった人はわかってくれると思うんだけどなー。