光塾生がもってきてくださった栄東シラバス。
文京区立音羽中学校のシラバスをいただいた。
高校生からもシラバスはいただいている。
渋幕のシラバスをいただいた。浦和一女、大宮、浦和、川越女子、熊谷女子、開成、早本、都立日比谷のシラバスをいただいた。
埼大附、日比谷高校、栄東、開智、埼玉栄高等学校、大宮開成、淑徳与野、星野のシラバスをいただいた。
千葉県立東葛飾中学校・高等学校のシラバスをいただいた。写真のようにフォルダに入れてさっといつでも見られるようにしている。
シラバスには学校の授業が大事にしていることが載っている。
また勉強の仕方の話。話が名詞のときに「話し」の「し」の送り仮名はつけない、というのを話しついでに書けば、そういうことは習うようなことじゃない。
いや、習ったならそれで確認したということでよいが、習っていなくても気づくようなアンテナを頭につけているようなのがいい。
話、話す、話、話を話した。いろいろ出会ううちに気になってくる。調べてみて根拠が増えていく、いつしか類推が確信に変わり、確信が知識になる。
気づきながら学ぶという発見的学びという方法がありこれは上達が早い。
おっかけるのでなく自分で発見するような勉強法は自分のものにできるのがはやい。
先輩がせっかく必死になって何かを教えてくれるとしても、学ぶ側に自分から気づいて見つけて盗むという意識が少なければ効果はあがらない。
逆に師匠が弟子を教えることに熱心でなくてさえ、給料なしでも見て観察して学ばせて欲しいという態度が弟子のほうにあれば吸収は早い。
という、そういう一般的な話し。話。
know 名詞 なんて誰でも知っているような語法だ。
名詞を目的語にとると思うのまでは単純だが know に出会うたびにknowに注目できる人は何度も出会ううち、観察するうちに自ずと気づいていく。
辞書を調べてみてやはりそうなのかと考察が深まっていく。
辞書というのは調べるものだが、調べて何するのかといえばまさにこれで、なんとなく怪しかったことほど調べたときにやっぱね、え!そっちなの?と一人で辞書を相手に突っ込んだりしながら対話的に辞書に相談できるようになる(だから 上の相手に相談するときには、 consult a dictionary と英語では言う、対等な議論ができる相手とは consult with A の方を用いる)。
knowが目的語の名詞をとるときその目的語はなんかんでん一切合切ではないのではないかとかは学ぶようなことではなく気づけるようなものでもあるのだ。
何時の o'clock 。はじめからo'clock。へんな単語だなと感想を持つだけでなくなんで'があるんだろうと不思議に思うのは、考える帽子をつけている。もしや何かの略なのではともう一個案を出すのは考える帽子をしっかりつけている証拠。ドブロックの仲間かなと思いつくのは「センス○」もついているかも。
つづく(シリーズ考える帽子)
plus シラバスを全員に持ってきていただいた。これさえあればどんどん先まで予習しやすい。
所沢市立安松中学校のシラバス。
plus 論理の棚
光の本棚には論理の本がたくさんある。
論理学のよい本が揃っている。
数学の「または」と「かつ」、「すべての all」と「ある exist」→(ならば)、必要十分条件、同値、背理法、対偶証明、∴ (ゆえに)、連立方程式の同値変形(=代入法や加減法だけでは正しい同値変形にならない!)、真理集合、
英語の ; セマイコロン、and but or for yet so ,then(=and thenのように使う人が多い)などの等位接続詞の使い分け、論理を示す副詞 however , also, など、
国語や古文の接続詞 「また」≠「または」(両者はあまりに違う)や副詞 「(さ+あり+ど→)されど」 など,
漢文の 「乃・・・」 (=まあ、なんということでしょう・・・)など。
を正しく理解するのに論理学が役にたつ。論理学を正しく知ると教科の個々の具体がよくわかるようになる。
はじめのうちは「抽象と具体」と言われても何それ?という状態に子どもがなっているのは教科書にないからというだけで聞けばすぐに誰もが理解する。
最近やっと高校でもこの重要な論理学が、カリキュラムに入った。
最近やっと英検にも重要なあらすじ記述=100語要約が入った。イイタイコト(核)を書いてあまった字数で具体化を書くという基本的な要約トレーニングを積むのがよい。
大事なことは試験のあるなしに関係なくやっておく知っておくに越したことはない。
plus シラバス
学校でやったあとなのか前なのかは念頭におきたいので、シラバスを持ってきてほしいとみんなに年度はじめに伝えている。
例年数名、まるで原本なのかとみまがうような状態でコピーをわざわざ製本して持ってきてくださる子がいる。ありがたいこと。
本棚のはしに置いて毎週さっと見られるので助かる。このような場合は写真でなくこのまま冊子で保管している。
危なくないようにとホッチキスにテープまでつけられる彼の気遣いには、あっぱれ(ひさしぶりに張やんの上から目線キャラで)。
plus 年賀メール、暑中見舞いメール
光塾を卒業した子が就職しましたとか最近こんな仕事しましたとか、結婚しましたとかご報告のようなメールをくださることがある。病院に勤務している人にはお身体で困ったらいつでもご相談くださいなどと書かれていたりする。gmailはヴォクの方から出すことはないが人なのでヴォクでも返事くらいはする。ヴォクの方では返信しかできないからね。先日は公務員をなさっている方が公文書のURLなどもつけてメールを送ってくださった。その重要文書はたまたまヴォクはすでにチェック済みのものであった。国の文書や県の文書には非常に役に立つものが多いのでお気に入りに入れているものは循環している。与えられ操作される一方的な広告付きのニュースサイトを眺めるだけでは決して得られるわけもないソースがきちんとデータ付きで公表されている。返信にはいろいろしっかりなさっているだけでなくお気遣いありがとうございましたというようなことを書いた。同じデータでも知らせてもらえるのはありがたかった。そもそも暑中見舞いも年賀状も挨拶がしたくて出すようなもんじゃない。気になるから何かの情報を伝えたくて手紙に載せているだけだ。気持ちだけでなくデータもしっかり再チェックした。
ものが目に見えない場合には目に見えるものを自分の目で確かめるまでたどる必要がある。あるものに気がついたら大事な人にはそのもののことを知らせる。そういうようなことはヴォクもする。基本的人権を行使するのは当たり前のこととして。
ニュースで待っていてもその時点でもう間接的なものでコピペでありオリジンでなくなっている。気にかかっていることがあればググるだけではいささかもよろしくない。DuckDuckGoで1ページ分だけ見てみるだけでも足りない。ニュースサイトというものは間接の間接の間接のコピペの引用のコピペの上塗りになっているのが落ちだ。目新しいということと真実ということは異なる。
気になることがあればニュースだけでなくソースをつきとめ自分の意見に耳を澄ます。DuckDuckGoの検索上位でなくあえて下位の方から先に目を通す。
そのときにせっかく公開されている公文書や研究所の文書類のよいデータも悪いデータも消去されたデータも黒塗りのデータも自分なりに見るようにして考える。ヴォクはそうしている。
(千葉県立東葛飾高校のシラバスと書いてもなぜか漢字がご変換されてしまう。)
ほなな、ほなね、ほなぬ。
ぬぬぬ! 雨降り(つ\ぬ)。
雨が自然と降ってきた、ヴォクの意思に関係なく降ってきたから、(ぬ)で了。