ぼくは勉強術について教室で教える。
知識自体を教えるのと同じくらい方法を指導している。
10年後20年後30年後になったらすべてやっていることはブログにも書いてしまうことになっている。
記憶の仕方には多くの種類がある。
理解術。
たとえどんなにすぐれた書物があったとして、でも1周目で理解できることは半分くらいかもしれない。
もし、「なぜ?」に迫る優れた独学図書があったとして、感動して復習するとしたら新発見や新たな理解があり、理解度が75パーセントくらいまで上がるかもしれない。
もし基礎理論にこそ十分なスペースを割いて丁寧に説明するようなゴイスな書物があったとして、愛読書として3周4周と読み返すなら、次第に書き手の思考と近い位置にまで歩み寄ることができて、理解度が87パーセント、93パーセントと徐々に高まってゆくかもしれない。
もし真に取り組む価値のある本質的なことについて回りくどくしつこく書いてある良質な図書があったなら、はじめはとっつきにくいかもしれない。でも、そういう本は噛めばかむほどに味が出てくるお米みたいな書物である。
ひと噛みだけで飲み込んだりせず、何度でもなんどでも味わってみたい。かみしめてみたい。