上尾市にある学習塾|光塾

勉強という名のスポーツ(1)

塾生のセルフ道を追求しており今年から計画を自分で立てるということをウチでもはじめている。計画とは学習の中で二番目に重要な要素だとヴォクは考えたからだ。

受験がはじめての経験である以上、計画立案のチェックはもちろんいれている。(『はじめてのお使い』というテレヴィ番組でもチェックはあったはず。)

計画は、まぁ、みんなきちんと立てられる。わるくない。経験を積むにつれ、ある程度何をしたらいいかがわかるようになっているんだ。足りない部分はコーチが修正する。

でね、計画が立ったらいよいよ松本いよ(自由が丘の道端で奇跡的に立ち話をしたのがなつかすぃ~な)、実戦だ。実戦DO!だ。

よかった計画(プラン)だが、実行(ドゥー)の段階となると、いろいろ、セルフ道が分かれ道になる。

シリーズ(1)の今日の花波日記では、無理矢理これらの道をパターン化しよう。

大道、小道、中道を勝手に名付けます。ええ。代打でなく、この日記のレギュラーのヴォクが。

計画実行の分かれ道分類byはな

パターン1:計画より遅れる。主たる原因は、やらないこと。理由は実に様々。

パターン2:計画と寸分違わずやる。速からず遅からずそれでいて浅からず。トドのつまり、それでよし。目標数値達成者のうちの90パーセントくらいがここか。

パターン3:多め、早めにやる。悪くない。

少なからず。遅からず。それでいて密度が小さい(上島ネタで書かれた赤虎さんのパクリ)。

濃くないんかっ!確認テストで満点近くをとらないときもある。気合いと根性があって、わるくない。なんとかなりそうだ。

パターン4:計画票はあくまで最低ノルマ的に利用して、起きている間中、勉強。将来の中期的・長期的目標(のようなもの)にとりつかれたかのようにずっとなにかしら勉強している。コーチであるヴォクの指示になかったことまで、復習という名のもと勝手に隠れて勉強している。偏差値を数ヶ月で10~20近く上げた子たちはここに入るか(春、合格後に全員に軌跡を詳しく書いていただく予定)。

計画って、なんのためにあるのだろう。

計画のための計画は、練習のための練習と同じで、ツオクならない。

結果を出す。そのことのために練習があり、その練習のメニューが計画なんじゃないか。

ヴォクはこんなものを並べてみたい。

料理(の献立):レシピ:料理すること

試合:練習メニュー:練習すること

学習:計画:学習すること

つまり、勉強における計画とは、料理におけるレシピみたいなものなんじゃないか。

すなわち、計画と勉強の関係は、レシピと献立の関係と同じなんじゃないか(反復主義)。

プロの料理人なら献立がなくても料理ができる。家庭でいつもご飯を用意するプロの人間がDSの料理ソフトやSMAP料理本をはたして毎回参照するだろうか。

東神奈川駅近くの元祖ニュータンタンメンのシェフが調味料をハカリでいちいち測るだろうか(んなこたぁ~ない)。

プロのスポーツ選手なら練習メニューがなくても練習ができる。イチロー選手は身体が求めると感じたらシチュエーションに関係なく身体を動かしていた!という話を青木選手がしているのを何かの番組で耳にしたことがあるという記憶がヴォクの頭の中にある(いや、長いからっ!息苦しいからっ!)。

ディナーに招待したジャパンの選手たちをよそにひとりその場からいなくなったイチロー選手は、(あれ、イチローさんいないなぁと青木選手が思ったら、)自宅のジムで筋トレをしていたらしい(伝聞推定)。

青木選手:「いつもしてるんですか」

イチロー選手:「身体が求めるタイミングで」(すみません、ヴォクの記憶が遠いのでニュアンスだけです、ええ。)

プロでも計画を立てながら練習する場合は多いだろう。ましてやアマであり修業中の身であるわれわれ子供は練習メニューや献立に従って練習する必要があるように思えてならない。

(つづく)