上尾市にある学習塾|光塾

高校英語を英語で授業する(2)

http://www.asahi.com/national/update/1222/TKY200812220292.html ↑「高校英語、英語で教えるべし」学習指導要領の改訂案↑ 改訂案は「授業は英語で」を初めてうたっている。 これについて、早速、ブロガーの間で話題沸騰中みたいですね(そうですね)。 僕の私見。 「高校英語を全部英語でやる」のに、 賛成・反対の前に、 「英会話(LISTENING・SPEAKING)」というスポーツ(耳学問)と、 「英文読解READING」や「英語作文WRITING」という学問(目学問)を別立てにして考える必要があると思う。 2つの名前に分けるのに無理があるのなら、「英会話」と「それ以外の英語」でもよいだろう。 英会話が全部英語ということの趣旨はよくわかる。それは今までにも程度の差こそあれなされてきた。英会話の授業を英語だけで行うのは当たり前だ。英語で会話をするのに日本語はいらない。 一方で、英文読解や英作文(つまり読み書き)を全部英語でやることは、「日本語と外国語との対比の中で、一言語としての日本語を相対化するような視点を養う」という絶好の機会を子供たちから奪ってしまう。 日本語なしでは、言語学の勉強にならない。 日本語と英語でどう構造が違うのか比較することが許されなくなる!! 例えば、日本語では動詞は後ろだけれど、英語では主語のあとに来ます、なんていうトークがしにくくはならないか? それでは英語の特質をつかむのに、 理論や文法は排除し、まさに「習うより慣れろ」だけでいこう、と宣言する ような事態になってしまうのだ。 公式なしで数学をマスターするのと同じくらいの無理があるだろう。 英文読解や言語学としての英語の学習には日本語との対比が必要だ。 そもそも、英会話をしているとき以外は、思考は結局、母国語である日本語で行われている。 英語を学ぶ意味には言語のひとつとしての英米語を学ぶ点(ことばとは何かという問題)、それから国際語のひとつとしてのEnglishを学ぶ点(コミュニケーションの問題)の二つがあり、前者にとって日本語を対比することはとくにはずせないのだ。 関連記事: ●(TakeshiGotoさんの)高校新学習指導要綱 2http://plaza.rakuten.co.jp/tgstyle/diary/200812230004/ ほか多数 ●(willさんの)一応。。。 http://plaza.rakuten.co.jp/will2000/diary/200812230000/ ●(赤虎さんの)私見 http://plaza.rakuten.co.jp/schoolwars/diary/200812240001/ほか多数 ●(ヒカリの)高校英語を英語で授業する(1)。