ヒカリブログ

上尾市と桶川市の間にある学習塾光塾

もっと勉強したい(37)

初学者よ、解ける問題から解け。 難しい問題をずっと考えていて途中から頭が動かなくなってくる。 もうずっと根性と意地をもって机に座って問題を見つめているのに手が動かない。 まるで泥沼の中をもがいているような気分で表情がこわばっている。 それでも考え続けることに単元の仕上げ期においてなら意味もあるが、初学時にはいささかも意味がない。 とまってうんうんとうなる時間をつかってすぐに解答を見たらいい。 解答の解説をじっと見ても何をやっているのかよくわからないことがあまり多いなら、そもそもやる問題集を間違えている。 7割から8割くらいはなんとか自力でわかる問題群を探して先にそっちに手をつけよ。 残りの2割3割の要素を問題集を読み参考書を調べ、うまく吸収し、自分の力にすることができる。 2割3割の解決できなかった問題に学ぶことができる。 問題集の◯の数を数えよ。 全部◯なら、やはりやる問題集を間違っている。 ひとつも×がないことがずっと続くなら問題集のレベルを上げていいだろう。 0、1、2が身についているのだ。 全部×なら、問題集を間違っている。 その問題集がレベル6として学習者の単元レベルは4以下だったのかもしれぬ。 雪だるまがだんだん大きくなるみたいに力が自分についてきたと思ってからでも最初の(以前の自分のレベルよりも上にあった)問題群に立ち向かうのは遅くない。 独学者が困るのは練習メニューの選定に自信がなくなったときに誰も周りにいないことだ。 しかしいまはカリキュラム、学習プラン、問題集の情報はネットを見ても見つかる。 以前のように限られた先輩談、学校のカリキュラム、数冊の合格体験記だけに頼らなくとも、いつなにをやったのかの情報が入手しやすくなっている。 玉石混淆でネットなんてだめと言うなら書店に行き問題集をよく比べよ。 よい相棒の選択肢が少なくない。 独学者はコーチがあれこれ練習メニューを組み立ててくれないときこそ、自分のやりたい順序でやりたい練習をしたらいい。 それがセルフラーニングだ。あれこれもがきながら毎日目標の時間いっぱい、自学するのがセルフラーニングだ。 疑問点が山のようにあふれる場合に、疑問点が生じないまま読み進められる参考書を読むのもひとつの手だ。 どうしてもわからなくなったら同じ単元で複数の参考書にあたってみるのもよい戦術だ。 ひょっとしてAの単元はBの参考書がよいが、Cの単元になるとDの参考書の方がわかりやすいということだってある。
そして後から振り返ったらその単元はBの参考書よりも(捨てた方の)Aの方がよくまとまっていてわかりやすく感じたなんてこともある。やっぱりAいいなー。
初学時は全体像が見えないうちはとかく道に迷いやすい。 大きな森の中で自分を失い、ともすれば自信喪失にまでいたる。 森全体を見ることができるようになるまでは薄くても全体を手早く終えられるようなかんたんな参考書を一周するのが鉄則だ。 かんたんでも全体がわかれば、次に難度があがった問題集で細部をやるときにでも解法の見通しが立てやすくなるものだ。 なぜならその問題が単元の中でどんな意味を持つものなのかという大きな視野と地図をもって立ち向かうことができるからだ。 ここに来たのは初めてではないという根拠から来る自信が解答者に集中力と方向感覚を与えてくれもする。
はじめは、かんたんな道でいいから全体を歩き回れ。 これを森勉という。 森勉(36)が単元を極める直前段階、仕上げ段階にいる上級者の学習法とすれば、今回の(37)は初学者の森勉。 いっぱんに森勉では、上級になればなるほど細部にこだわって学習するようにし、はじめであればあるほどまずは全体を見るようにしてみることを戦略とする。 ざっくりいって、初学者こそ、かんたんな問題集をやれということだ。 教科書や傍用問題集ができないうちに背伸びして難しいのばかりやるのは逆に遅くなる。 そして教科書がわからないなら教科書よりわかる基礎まで戻ってやるということだ。 7割8割解けて、解けなかった問題と格闘する、その繰り返しの先に、目標大学合格がある。 高1の入学時に描いた君の目標はなんだろう。 そしてそれをつかむための道はどんな道だろう。 他のものを犠牲にしてでも達成したいことがあるのなら、その道を突き進め、その道の真ん中を突き進め。
進もうと思ったら方法はかんたんだ。
進もうと思ったらたんに自学自習して進めばいい。
自学自習すると何が変わるか。
工夫するようになるんだ。
暗記法など。
いろいろなやり方を自分なりの仕方でためすうちに暗記スキルが向上していく。
小さいノートにまとめる。
ルーズリーフにまとめる。
紙に何回も書く。
つぶやく、見る。
隠す、見る。
読む。
ダビングする、聞く。
暗記の仕方などいくらでもあるがそれを自分でやってみるということに自学自習の意味がある。
自学自習をしてはじめてできあがる学習能力というものが存在する。
目次をつくる。
まとめる。
間違った問題について調べたことをまとめる。
自分でつくったノートには愛着がわくから何度でも見返したくなる。
もしも筆跡がお気に入りのタイプなら効果は倍増。
もしも好きなペンの好きな色で文字が書かれていたら効果倍増。
(だから習字は頭にいいんだろうな)
書いてて自分で書いた文字が嫌になるよりは毎回うっとりできる方がよくないか?
書いてて毎回ボールペンのだまが気になるくらいならだまの出ないペンで書いたほうがよくないか?
復習するタイミングも一日後、二日後など忘れかけたちょうどその時にやるのもうまくなっていく。
自分が覚えたことを何日間そのまま覚えていられるのか自分でわかるようになっていく。
本を読んで記憶に残りやすい時間帯というのもわかってくる。
寝る前に読むのか、寝起き直後がきくか、電車の中の25分間が記憶にいいのか。一日中ずっとやれたらよいが一日中机に向かっていられるほど恵まれた環境にいる人間はそんなに多く居ない。
本を読むときも一冊を一気通貫がいいのか、単元別に小分けにして複数の本を乱読するのがいいのか。
タイプができあがっていく。
そして自学自習をすればするほど新しいタイプが出来上がり一層自学自習能力が増してゆく。
講義を聞いてインパクトや感動をもらうのはたしかにあるが自分のものとするためにはその何倍の時間分もの練習がいる。
不調なときに新しい勉強法を試し打開することができるようになる。
たとえスランプに落ち込んだり、一時間
廃人になってしまうにしても、新しいことを試せる人は起き上がるチャンスを自分でつかみやすくなる。
何度も工夫して勉強法を塗り替えてきた過去の自分が不調のときの自分を助けるバネになってくれるようになる。
定期試験前だから勉強をする。
入試前だから勉強をする。
それはそれでもちろんよいだろう。
でも知りたくて勉強をしてた、って部分を忘れてしまっていないか。
その証拠に一週間勉強禁止という環境にいれられたとしよう。
うれしいか、苦しいか。
(前回 「あの子が勉強する理由」) http://selflearning.seesaa.net/article/287978615.html (つづく)