のび太とドラえもんの映画「ロボット」がすき。小学生が毎週金曜日にライブで見ていると話してた。
ライブかー。
光塾桶川上尾教室、塾生小学生に限ると、男子は浦高志望、女子は一女、早大志望の子がほとんどだ。
だからどうしても話がそこに集中してしまう。
他のニーズも本当はあるのはわかってはいるのだけれど。
でね、
セルフラーニングの「7つの習慣」なんてほんとにあげてたか? と戻って読み直したり、メモったりたしかめてみたりするような方が小っちゃな頃から(わるがきでぇ、15で)身につけていたであろう特性「確かめて全部できるまでやる○」が身についている子はどこまでものびのびる(のびのび太の原形で)。
たとえば小テストがあるとして80点くらいを重ねるのと100点をいつも狙うのとでどれだけ違ってくるか。
これについては今更なのでこれ以上書くのはよそう。
でもね、たかが学校の傍用問題集ひとつとっても、(「傍用問題集をなめんじゃねえ!」で前にも書いたのでここも軽く書くが)たった30ページを何周もチェックしていろんなマークをつけながらチェックしてチェッカーになってとき直してチェッカーズになって(「ギザギザハートの子守唄」)また解き直して確認してまた解き直してとにかく最低一度は満点になるまで絶対に練習をやめないという子がいるの。
「ローラー作戦○」がみについていて、はしからはしまで全部覚えるまで準備と練習をやめないわけ。
仕上がりを丁寧にやっている。
こういう特性をもった子は精度が高い勉強ができるのでまず崩れない。
速いことはいいことだけれど、仕上げが丁寧というのもすごく価値がある特性となる。
どんな仕事でも「速い」という軸と「仕上げが丁寧」という軸がある。
勉強でも仕上げを念入りにできる子は伸びが大きくなる。
スピードとか、工夫とか、仕上げとかいろいろそれらしく書いているけどぜーーんぶ当たり前のことばかりだ。
切れがある人とか粘り強い人とか大人になってもそのまま続くんだよな。
終わりなく続いているんだ。
勉強が勉強だけで完結するということはない。
入試があってもなくてもそのまま大人になっても続いているんだ。
質問に答えよう。
いちばん上はどうして?という質問だったよね。
感謝しているからです。
ありがとうございます。ありがとうございます。
(つづく)
一人で練習すると、自然に「考える」ことが発生する。「何をどうするのか」「本当にこれでいいのか」工夫し、自問自答する。それが勝負 のための必須条件とも言える「読み」を育ててくれる。〜野村克也さんの言葉
自塾の中2生の話も。
ここ数年このタイミング12月1日から、中2生に笛を吹く。入試前のスパートをかけてと。並走していたランナーだったヴォクはペースメーカーたることをやめる。
本を渡し仕上げる期限だけを伝え他に細部を伝えない。
スパートから本番はひとりでしか戦えないことを伝える。
失敗してもらって構わない。
やる方法は自分で決めて構わない。
たとえば10歳の頃からいっしょにやってきた。
ひとつのやり方ならもう出来上がっている。
そのやり方を改良しても構わないしいつものやり方をしばらく繰り返してみてもいい。
川内選手は突然山を走る練習をしたり自分流なのがおもしろかった。彼のように問題意識を高め思い切った工夫を作戦にするのには驚いた。それはきっと効果がある。
中2生よ。それにしても一体いつになったら仕上げるということの意味を知るだろう。いつか?
それがわかるのならこれからやる練習の効果が随分と違ったものになる。
解けるようにした問題は15分以内に解けるようにしなければ価値が半減する。
覚えるつもりで手をつけた用語は一語残らずかんぺきに憶えるまで覚えてはじめて役に立つ。
25問中1題を間違えるとしたらやったうちに数えてはならないのだ。
いやそれはやったには違いないが仕上がりのない仕事だ。
たとえば歯医者さんが歯の治療をするとして間違って虫歯を見なかったことにして放置するだろうか。
たとえば大工さんが家をつくるとして間違って削りすぎた柱を見つけた時にそのままにするだろうか。
仕上げまで入念にやる。
仕上げを入念にやる、そういう人にヴォクはなりたい。