脱線。
指先に神経を行き届かせること。
文字を丁寧に書ける(読みやすい文字、見た目にここちよい文字、自分の見たい文字がある。イメージはできてもそれが自分ですぐにそのまま書けるというわけではない。)
文字を速く書ける(読みやすさを追求した文字の対極には速さを追求した文字がある。文字をささーっと素早く書き授業中教師の言葉をほとんど全部ノートに写せる子がいる。きまってテストや演習の速度が素早い。)
ラケットやボールを思うように動かせる(落合のバットコントロールは有名だがバットでボールを思った方向角度高さ距離に飛ばせるくらいバットさばきのうまくなるような練習法がある(コーチえのもとはボールをラケットにのせる時間、ボールにさわる時間を長くすると説明していた、打つのではなく押し出すような感覚になる、落合は幼少期軟式ボールを竹の竿で打つというゲームをしてそれがうまくなったらしい。)
ピアノや習字で指や手を思ったように、ときに思う以上にうまく動かせる。
ピアノがよいピアノがよい、習字がいい、習字がいいと世間に言うが一体何がいいのか、それは身体を意識に近づける訓練のひとつとしてよいのではないか。
速く文字を音読できる人がいる。
人はその速度で黙読を行い、その速度で思考を行っている。
物を速く覚える人がいる。
人はその速度で情報のインプットアウトプットを行っている。
こういった身体の先端や細部をうまく速く操作する能力と学習の能力とが無関係ということはない。
そういったことはデータをとるのが困難で研究結果などを読んだことはあまりないが経験として多くの人が感じているようだ。
作法や姿勢を指導するのにも一定の効果があるに違いない。
勉強にとって文字は、したがって大きすぎても小さすぎてもいけないことがある。
文字を書くのが読むのが、遅すぎてもよくないことがある。
そういったことは言われないとなかなか修正されないことなのかもしれない。
個人的な領域の癖として見過ごされもしたことだろう。
指摘する前に一瞬どう言おうか言っていいのかと悩むこともあるが勘と経験を信じヴォクはあえて気づいたときにすぐ言うようにしている。
何も「きみは性格が悪い」と言うわけでない。
それはただ技術上の問題だ。
そして技術は訓練で向上することができる。
そして文字を書くのが速い人、文字を書くのがうまい人、文字を書くのが速くてうまい人、音読のうまい人、音読の速い人、質問の返事をするのがうまい人(一問一答がスムーズにすすむ場合)には「これは本当にいい能力だ、よく訓練した」と伝えることにしている。
暗記力養成、スピード力アップ、エラーを減らすことは「考えること」と比べ価値が置かれている量が小さいような気がするが、考えること自体をうまく進めるために必要な能力でもあり暗記力、スピード、正確さを発揮できるように指導することは指導のポイントになっている。
以上の事柄を指導で気をつけている。言葉にしたことが今まであまりなかったが隠していたのではなく無意識だったからだと思う。
言葉にすることで考えを進めてみたいと思い書いてみた。
おまけ 「全高入メモ」より
全高入の過去問をすでに3年分3周以上している。
これからやるのは新しい問題でなくていい。
前にやった問題を100%正解できるのか。
数学はたんに全問正解できるだけでなく速く解けるまで練習する。
10分以内に大問が解けるようになるまで繰り返し、実際に10分以内に解けるようになれば修了。
テーマは精度と速度。
12、1、2月のメンテナンス期、仕上げ期にこだわっていく点もその2点となる。
全高入の受験生正答率表は問題を解くときには見なくてもよい。
解き終わった後に難問題が解けているのを確認してガッツポーズをするのは構わない。