教科書や傍用問題集は単調で面白い読み物にはなっていない。教科書は使わないという人は少なくない。その上、教科書なぞ誰でも持っているのだから水みたいにあまり価値のないもんだと考える人も少なくない。かくして教科書はときに、学校のロッカー、机の中の暗闇に置き去りにされている。
一方で、ブタカバンに入れて持ち運んで家でも傍用問題集やワークを馬鹿にせずきちんとやる人もいるだろう。すると教科書が頭に入る。
入試問題は基本の組み合わせであり教科書からの作問であるので傍用問題集やワークがかんぺきになるまで繰り返すうちに基本が出来上がる。
ここでかんぺきにというのは図表、グラフ、写真、欄外の注、コラムなどの諸資料、資料内の数値のひとつひとつにいたるまでを漏れのないよう読みつくす、考えるというくらいの意味である。
教科書を見れば入試の出題範囲と出題内容がわかる。
「接弦定理は出ますか。」
教科書を開きなさい。
「重要な英文はどれですか。」
全文暗誦しなさい。
後に受験生になって難しい(と思われがちな)入試の過去問をやるときでも、教科書と傍用問題集を身につけていた人は、入試問題において教科書の基本がどう利用されているのかがよくわかる。
教科書には解答解説まではついていないケースも少なくないが傍用問題集にはそれがあり自学自習できる(部分もかなり多い)。
そういうことがあるので傍用問題集や教科書をかんぺきにやることはそのまま入試の準備になる。
傍用問題集やそれと同じくらい教科書の練習ができる一冊の問題集を極めることの意味はとても大きい。
http://selflearning.seesaa.net/article/174874394.html
2年くらい前にも書いたが誰もがもっているたかが傍用問題集の中にはよい問題ばかりがつまっている。何回も改訂を繰り返された教科書の練習問題たちはおせち料理のメニューのように定番物ばかりで構成されており、ときにかなしいくらいにまるで無駄がない(そしてよく噛めばうまい)。
傍用問題集をなめんじゃねえ。
傍用問題集を味わうんだ。
基本を直接身につけないで応用的な必殺技のみをどうやって身につけられるというのだろう。
真ん中は苦手だが悪問なら解けますって、それはドカベンの中だけの話。
入試の難問奇問(のように見えるもの)が解けるのは教科書の基本ができているからである。
基本を身につけるという目的のために、教科書や傍用問題集はよくできている。
しかし教科書にはいかんせん、味がない。やっぱり水みたい。それで敬遠されてきた。
教科書は万人に合うよう、無色透明とまではいかなくともかなり薄味に作られてる。
でもこの水、よく飲んでみるとうまい。
自分のコーヒーをいれるのに欠かせない、いい水だ。
この水は捨てられない。
かつて浦和に進んだ子でこんな子がいた。
入試問題を解いて間違ったら全部教科書に線を引いていた。
記述がなければ米粒みたいに小さな文字で教科書に書き込んだ。
それは辞書みたいだった。
「こたえはこのなかに」まるでショーシャンクの映画をみているような気分になった。
彼はその辞書みたいな教科書とは別にただの書き込みのない教科書も持っていた。
「なんで?」
と尋ねられた彼曰く、「こっちの書き込みのしてない方はエッセンスなんです」
当時から塾で「図形のエッセンス」「数式のエッセンス」を使って自学自習していた。
それは中学数学のバイブルなのだが、彼は書き込みしていない教科書のことも「エッセンス」と勝手に名付け、「エッセンスの教科書」を何度も繰り返し読んでいたらしい。
どうせ読むなら書き込みしていた方をよめばいいのにと突っ込んだら、何を書き込んだかを思い出しながら読むアウトプット勉と何が書き込まれていたかを確認しながら読むインプット勉を混ぜているということだった。
こだわりがあってゴイス。