えのもと監督はテニスの試合ができなかった。ご高齢で足が動かないこともあったがそもそもテニスの初心者だった。
ぼくらが九州大会や国の大会に出るくらいになると監督はひとりだけ人を連れてきた。
うまくなった数人だけが、えのもと監督が連れてきたそのコーチを相手に乱打をすることができた。乱打は文字通り乱打であってネットにもかけずコートからも出さずに40本、50本と連続でとにかく全力でまっすぐに打ち合った。
力と力の勝負だった。年齢も立場もない。打ち負かしたほうが勝ち。
カーブもスローカーブもない。(テニスではロブといった。)
ストレートを全力で打って相手が力負けしたら乱打が終わる。
何本打ち合うのか数えてはいなかったがときに5分くらいエラーなく継続して打ち合った。コーチは数人と合わせて1、2時間くらい打ち合ったら、監督とちょっと話をしてすぐに帰った。そういうことが月に2、3回くらいはあっただろうか。監督はどういう意図とタイミングで彼を呼んでいたのだろう。
えのもと監督はいつものようにコート脇の日陰のベンチにひとり腰掛けタバコをプカプカさせてただその乱打を見ていた。
彼がコーチに練習を手伝わせたのはその乱打のときだけで、球出しなどの基礎的な練習のほとんどは自らのラケットで球を出してくれた。
えのもと監督の球出しは、落合博満のノックのようなコース際どく狙われたものでなくどっちに飛んでくるかもよくわからない無回転や逆回転の悪球だったのでぼくらは必死に追いかけた。
いま思えばボールの軌道をイレギュラーにするためわざとああいうへんてこなカットボールを出していたに違いない。
当時は監督はボール出しが下手だなーと思っていたが最近やっと気がつくようになった。
夢に監督がよく出てくる。
練習のあとに暗がりの中で話してくれたいろんな説教話が夢の中でははっきりと聴こえてくる。
「やるならやれ。やらんならやるな。俺は半端はひとっちゃ好かん。」
3日に1回、300回くらいは聴いた監督のこの言葉。帰り道に部員同志でも監督のものまねをして言い合ったのでもう何回聞いたか数えきれない。
よくもまあ同じことをこう何回も何回も話せるもんだと思っていたが、でもそれだけ言われるとさすがに米を主食にしてるくらい当たり前になった。
常勝チームの暗黙の合言葉だった。
「練習を一番やってる。だから優勝したんだ。わかっか? 次も優勝したいか? じゃあどうすっか?」
ヴォクの足は夢の中でも疲れと監督の顔を見る緊張から直立してガクガクだ。
安いという理由だけで長くつかってたマイラケットの3倍の値はしたであろう監督のラケットは説教中にケツバットを部員にして、折れることがあった。
そんなときぼくらは「ああ、監督は本気で怒ってるんだな」とシンとなった。
それはつばを飲むくらいの最高級のラケットで、誰かが怒られラケットが折れてしまうと他の部員たちまで全員反省した。
怒られるのも悲しいが、なによりラケットがかわいそうだったから。
ぼくたちはみなラケットを愛していたんだ。
夢を見る。
ときおり金縛りとなり苦しくなって目が覚める。
あー、こわい夢だったー。
でもまた監督の話が聴けた。