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現代文の最高の読み方は意味段落である。 plus 暗記は自分で使うのがコツ 、百字要約(3)

たそかれ 黄昏 誰そ彼れ

日本語はいいなあ。

漢字でも楽しめるのは他の言語にない魅力。

https://blog.hikarijuku.education/entry/470900278.html

でも書いたが、「誰だ、きみは?」と夕暮れ時にくらくなって見えなくなったときに人影がみえなくなり声や音をたよりにボールをサーブをギリギリすぎにもまだ打っていたあの頃。

 

話題変わって、

深い読みという日本語の言葉がある。

読みが深い。

意図をそこまで深読みできるのか。

のように用いる。

 

英語でも行間を読むという言葉はある。

実際には行と行の間には記号や文字はない。

言葉と言葉の間には無音がある。

There is no sound.

sound of silence の世界になっている。

 

行と行の間を読める人は実は全体を読みながら部分に戻って文章と文章を繋いでいる。

再構築してここはあれと同じ、こっちはあっちと反対と遠近法で焦点を変えながら繋ぎ読みをすることができる。

 

日本語でも空気を読むと言う言葉がある。

これは本当によく感じることで空気を読むのがうまい人ほど気配を察知するために自ら静止してじっと情報をインプットして頭の中ではぐるぐると考えまくっているようなところがある。時間を超越した超集中状態であっという間に関係性を見抜くようなことがうまい人もいて一歩間違うと超能力として別次元扱いしたくなるようなことさえあるが、こと読解となれば深読みはトレーニングすれば必ずうまくなるものだ。

 

その方法が読解した文章全体の要約なのだ。

入試で120字要約が出るからたんに練習するというのを越えて実際に読解練習になるのだからやらないのは損だ。

設問を解くだけなんてもったいなさすぎる。

せっかく文章を読むんだから内容を要約しておくという勉強法がある。

 

 

よく人は言う。

要約の書き方には自信がないと。

読解をきちんとやっている人はそのようなことは言わない。

読むと言うこと自体がテーマ(トピック)、主張(論、イイタイコト)、根拠を読み解くことであってTはMだ、根拠はRだ。というところ、MはNと対比でMはLと同じこと(同値、同義、繰り返し)だ。

というように文章をよみとるとそれを書けばよいだけでむしろ字数の方が足りないから無駄を削ってしまうということをして仕上げということになる。

何をどう書けばいいかというのは質問がおかしくて主張している根拠を書くだけでもう味気ないしかし明快な要約は書き上がる。

 

要約とは読解した結果に得られる作品であって要約の構造には決まったものはない。

実は要約の構造は本文の構造を反映したものにできるだけしておきたい。

要約文のキーワード(トピック、話題)とキーセンテンス(トピックセンテンス)は本文から離れすぎずに厳密な状態で残しておきたい。

どうしても長々と長すぎるところは言い換えてしまうしかない。

 

要約は結局本文が読めたら書けるということになる。では本文が一読して読めないような場合はどうしたらいいのか・・・(難関校の多くは一読しただけでは何を言ってるのかわかりにくいような文章を題材に設問があることが多い。自分の受ける学校の入試が課題解決型(文章は難関で長め)なのか問題処理型(文章は標準的で多め)なのかにもよる。(課題解決脳を鍛えている人はそれにあった入試をかす学校を受けると得点がとりやすい。→こちらは、入試問題を見て解きたくなるような学校も選択肢に入れよの方で書く。))

 

ちょっと何いってるかわかんないっすというサンド富澤さんばりの状況ならまだいい。

現代文が本気を出すとほとんど何を言ってるかわからないほどの文章になる。

大学で読むことの多くなる論文レベルだと難しく書いてある。英文でも名詞が多くて一文がとてもながくて哲学的な書き方をあえてしてるよねっていうような文はよくある。出会ったことあるよな!?

 

現代文の本文はこのような一見何を言っているかわからないようなレベルの文章を本文の題材にとることが多い。難しいから読み応えがあるというくらいの本文をとる。あるいは言いたいことが深いことでなかなかかんたんに言い表せなかったのかというように複雑な関係の文章を題材にとることが多い。

それでこそ読解をトレーニングした人とそうでなかった人とに得点差をつけることができるからだ。

 

漫才じゃないんだからイッチマンたけしさんのように叫んでも仕方がないわけでこりゃあもう、いっちょほぐしてやるしかないということになるわけ。

先に結論を書くと、いっかい4000字の文章を要約する練習には4時間くらいかけるのは練習としてちょうどいい。かんたんに言って一晩かかる。

部活動だと思ってごらん。

 

ある日の大学生たち。

へー あなたは高校時代は何をやってたんですか?

私は吹奏楽部でペットですね。

やっぱペットですよね。トランペットですよね。

わかるぅ、わかります。

あなたはどうですか?

俺はね、部活は会計。

ちょっ、しぶいっすね。

あー、野球怪我したからマネージャーと会計の方を本気だした縁の下の力持ちといえばあたしのことよ。

 

へー。

 

だんだんへんな人しかいないことがわかってきたこのあつまりで、そしてデジャブとかいうおやじはいなさそうだ。

あなたは何をやっとったのね?

「わたしは、要約部。」

 

え!さすがに意味、わがんねっす。

「ようやくできるようになったのが引退直前よ。要約だけに。」

 

落ち、はやっ!

 

要約って、何時間くらい練習してましたか?

 

「そーね、約4時間。」全体でやる部活は2、3時間だけどね。そのあと納得するまで読み込むからさ。

やっぱ約4ですよね。(なんでもつっこむとおもうなよ)

いみわからないけどすげー。

ようやくだけに、やく4時間っすか。

 

読み込むって、なんか打ち込むみたいに言ってるけどそんなに読むかな。

飲み込むしかないってくらい読み流す人が多い中でよみこむか。

 

話の設定は、へんなのりの飲み会風だが、要約の練習に4時間かけていたというところだけはこの人は本当のことだった。この人には実在するモデルがいて高校の同英クラスの人だったんだけど、何をよむときも必ずノートに要約を書いていたひと。

成績は常に学年二位くらいだったひとだ

一位の人もおもしろい練習をやってた人なのでそれはまたの機会に書こうっと。その人がやってたことも手に取るように知ってる。

 

同じと対比、関係を書くだけで4時間って、要約、まじではんぱないって!!(大迫半端ないってー風に(→引用(1)))。

 

出典、引用(1) :  「大迫半端ないって~!もぉ~…アイツ半端ないって!!後ろ向きのボールめっちゃトラップするもん!!そんなんできひんやん普通…」

 

って、イッチマンってゆー? マクドナルドといえばマックかマクドっしょ。せめてスーファミみたいにマッドでしょ。関西でも関東でもドナルドはないわー。それハンバーガーじゃなくて鳥か大統領になってるから。でもアメリカでは「だなー」って言ってたりするけど。

 

結局、全体を先に読んではじめて各段落や意味段落の内容が見えてくる。「木を見て森を見ず」では現代文も英文も読解できない。逆だ。

全体の中ではじめて部分が意味を担っている。どこが論でどこが例だったのか。論、例、論、例と分かれて見えたら次は論と論をつないでいく。形式段落のトピックセンテンスが見えていく。

さらに論と論をつなぐなかで意味段落(3つくらいの大きなまとまり)になっているなどかたまりが見えてくるだろう。

そして重要な設問であればあるほど意味段落が解答範囲であり解答根拠になっている。(←現代文の秘訣でこれより大事なことはないとさえ言えるかもしれない)

解答の根拠は傍線の前でもなければ後でもない。

実は、意味段落こそが棒線問題の解答範囲なのである。傍線Aは意味段落一を傍線部が意味段落二をきいているというようにして。

しかしその意味段落の範囲は全体を読んではじめて範囲が確定する。

全体→意味段落←各段落 を何度でも展開が見えるまで縦横無尽に行ったり戻ったりしながら意味段落の範囲と内容とを掴むのが要約の準備の99%なのである。

(要約とは意味段落の趣旨の足し算に過ぎない。)

 

以上、要約の練習には時間を要するということも述べたが、複雑に書かれてしまっている文章を意味のまとまりと関係をつかんで意味の構造をつかんでほぐしていく(意味段落ごとに内容をつかむ)のには、どことどこが同じことを言っていてどことどこが対比なのか、どこが具体例でその例はなんの論を主張するための例なのか考えることなど、いろいろないくつかの論理にそって読んでいく。そのためにはキーになるところを自分の手で線を引いて書いて考えてつなぐことが必要だ。トピックセンテンスに線を引いておくなどは有用だ。

 

たとえば段落1から段落6までで3つのことを述べているとして味のある文章で相互に連関して絡み合うように展開されがちだ。

シンプルに骨だけとって3つの意味段落を取り出せると気づいた後に設問を読むと非常に面白いことが起こることがある。

 

文章全体を自分なりの仕方で読んだ後に客観的に筆者の言っていることを整理して要約したあとに設問を見ると今度は出題者の読みと比べることが可能だ。

要約力が高い場合によくあることだが設問と自分の解答をつなぐと、事前に作成していた要約とほぼ構造が一致しているということが起こりうる。

現代文の入試国語は練習においては文章を読んで一周楽しめて、次に設問を読解してもう一周楽しめるということができる。

そんなにじっくり読み込んでいたら模試や試験本番で終わらなくなるのではないかと思われるかもしれないがそれについては「速読なんかいらない」で書いた通りで実戦形式で読むのと練習のために捉えた気がするまでじっくり読み返すトレーニングをするのはまた別物である。

 

普段から極限まで読み込みを行っていれば高速で試験で読む際にも全体を読みながらぐっとギアチェンジができるようになり重要な箇所を再読しながら設問を処理していくような意味段落ごとの実戦的な読みもできるようになるものだ。

もちろん時間無制限で読むときのそれほどの精密な読みができるとは限らないが少なくともきちんと読むということができればなんとか足りるくらいの時間設定で試験問題の方も作られている。

試験は時間が厳しいのでその分読みが少し甘くなるのは仕方がないが、核は外さないくらいの答案は記述できるようにはトレーニングによって十分になりうる。

 

(つづく)

 

「おぼえにくいです、暗記のコツはありますか?」

よく聞く言葉だ。

 

語呂を利用するときひとが考えたのをそのまま使おうとしている人が多い。

それはナイフ、フォーク使わずに出されたまま料理を口に運ぶくらい、食べにくい。赤ちゃん用にはよい。

 

暗記少年少女レベルになれると、自分で切る。

 

たとえば、

「きこゆ」という単語の意味で、きこゆには常語も敬語もあって「常語で きこえる 噂される 理解する 敬語で 申し上げる」とたったこれだけのことをあっという間に覚えるとしよう。

 

暗記少女暗記少年レベルはあっという間に自分流にくだく。

一口サイズコロコロステーキよりもっと小さい名詞サイズで「噂 理解 / 申す」これなら一口で食べられる。

自分で楽しくやるのが暗記のコツ。

 

海外に少しいるだけで言葉が上手くなるのもまったく同じで、自分で伝えたいから自分の言葉にして言いたい。文を自分で作っていうとき人はそれを使うレベルでつくっている。だから言おうとして言ったことは正しかろうが正しくなかろうが、覚えられる。海外でお話をしたことがある人ならお分かりいただけると思う。