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選択肢問題の唯一の正しい解き方 大学入試共通テスト, 河合塾全統模試受験の戦術

普段あまり書いてこなかったことを書こう。

国語英語などで選択肢を選ぶ問題で正解を選ぶのが上手くなる方法がある。いや、話は何も国語に限ったことではない。大学入試共通テストの英語の設問と実用英語技能検定(英検)やケンブリッジ英語検定、GTEC、IELTS、TEAP、TOFELなど民間各種英語試験の設問処理の原則となる。

 

その方法はたった一つしかないわりに明確に言われていることが少ない。

本当によい参考書、それはもちろん独学図書であるわけだが、には確かに書かれていることが多い。

 

あるいはまた、本を読んで知らなくても、自分が問題を解くだけでなく自分で設問を作って見ればすぐにわかることだ。

 

設問に対して答えがまずある。これは本文を主体的に精読した上で発見してゆく真の答えである。(いや実は四角や傍線があればこんなことを聞いてくるだろうという問いの予測さえできる。)

それに対して記述でなく選択肢で四択式の問題があるとする。

このときまず真の答えは、ぼかして用意されている。

正解の選択肢はかくれんぼのように頭隠して尻隠さずでなく、できるだけ全身を隠しておかれている。

問題作成者としては正解の選択肢は一見すると間違いであるかのように思われるような仕方で目立たぬように表現しておきたい。

少しずらしたり少し強くしたり少し弱くしたりする。この少しというところはいろいろの工夫が可能である。

 

一方、ダミーとしてひっかけるための不正解の肢の方では、真の答えの一部だけを少しだけ偽のものに変える。テーマだけを変えたり結論だけを反対にしたり、あるいは別の言い方をすれば主語だけ変えたり述語だけ変えたりする。

他には副詞や助動詞などをつけて意味をできるなら(あくまでもしできるなら)ほんの少しだけ変えておく。

他にも、本文のどこかに言葉はあるが無関係の語をもってきてくっつけているダミーや、本文にないでっちあげの言葉をつけたダミーなどなど。

それと同時にあたかも正解に見えるように堂々とおいておきたい。

正しい答えを変化させて不正解のダミーにしていく際には、真の答えから十分遠ざかるようではあるのだがその遠ざけ方たるや、難度の高い設問ほど巧妙であって、もし先に真の解答を用意せずに印字されたダミーを読んでしまうなら引っかかってしまうようなものにしておくと難度が高くなる。

真の答えとダミーとはミツオくんとミツオくんのコピーロボットほどには似ていないが、それでも真の答えにかなり近いようなダミーにしてある。

かくして正解はひっそりと隠されて不正解がわざとらしくアピールしてきて選択肢を見て考えるようなやり方では振り回される現象が起きる。仮にこのような解き方を相手本位の解き方と呼ぶ。

 

さきにたったひとつの方法と書いたが、そのような厳しい状況下で答えを探す唯一の方法は存在する。

それはぶれない自分の主体的な読みを行い、記述しておくことである。客観式問題を解く仕方が主観的読みを行うことだなんて矛盾するようだが、そうではない。

客観式問題というのは選択肢の中から最適解を選ぶという意味での客観式であって主体的に読み取った読解を捨てることではいささかもない。

いや、選択肢が巧妙であればあるほどかえって要求されるのは設問に振り回されない確固とした自分の読み解きである。かくして、選ぶことをしなければしないほど正解できるということになる。

あれこれ考えながら総合的に読むということが要求される。

そして正解は大体のイメージを思い描くくらいの曖昧模糊としたものではよくない。

本文解釈を一読しただけで正確に実行できるようになるまで常日頃から読解の練習、修業をしておく。

本文を二度も三度も読むような仕方は速読から遠く離れてしまうので試験本番では点数にならない。

 

早いのうまいのやっすいのーが牛丼の条件でもしいいとしたら(もちろんそれがいい牛丼の条件ではないが、あくまでノリで)、

速いのうまいの正しいのー な自分の答え

をあらかじめ用意してから選択肢の解答作業にあたる、というのが唯一無二の方法であるだろう。正解は選択肢の中から選ばない。

正解は主観的な読みの中にすでにしてあり、それと同じ選択肢を正解とする。

 

自分の読みを行う前に先に選択肢を見ることはダミーに振り回されることになり、むしろ邪魔をされる、無駄な行為である。

選択肢はあくまで選択肢でありその中から自分の正しい読みに近いものを選ぶという姿勢がちょうどいい。

 

ここでもまた自分の考え、自分の読みを持つという確固たる自己の考えを持つことが要求されているのだ。一言で言えば客観式問題の正しい読み方は主体的に読むということである。

 

もちろんテキストの内容についての正しい読みであって自分の見解、主義主張、言いたいこと、理念などというものの出る幕ではないことはあたりまえだのクロックス。それは小論文や作文、表現の方の試験で要求されるものであって現代文や英文読解問題で求められるものではない。

 

あらゆる現代文や英文読解問題で要求されるのはテキストに何が書かれていたかを正確につかむ力である。

自分ならこういうように考えこういうように書くというような発想は復習時ではいろいろ考えてよいだろうが、筆者の主張を追跡するというのが目的である読解問題を解く段階では自分ならこう考えるという部分はまだ出さなくて良い。そこが日常会話と現代文の違いでもある。

対話の相手はもう一人いて筆者以外に選択肢を作っている人間も相手にいる。

相手が正解としたい選択肢がどれなのかをみつけることが解答するという作業である。

往々にして人は他人の意見を聞く前に自分の意見を言うものだが現代文で問われるのは筆者の考えをどこまで掴めたかという方の能力であることは大前提である。さらに設問を作り解答やダミー選択肢を作る出題者との対話能力も要求される。

本文を読む際には、筆者の論理の運びに目を凝らし耳を傾けて筆者の見解をキャッチするところに読みの目的を集中させてゆく。

設問を解くときには出題者の意図をもよく読み解き、あるはずの正解を選択する。復習ではダミーの選択肢はどのようなことをして正解でなくなったのかその分析まで行うことが効果的である。

ありとある論理を使ってだまそうとしている選択肢の誤りを見抜き、不正解としてさばくことは、現代社会で情報の渦の中から正しい道を見つけて進むことにも繋がっている。

それだからこそ現代文を教科の一つとして学校で指定しているわけだ。

 

くどいのがブログなのでもう一回書く。

選択肢の中から選ぶようではいけない。

答えまで読んでおく。

復習では四角や傍線があれば自分で問いも立てる。

 

よく言われることだが現実社会にはただひとつの正解というのがない。

現実社会には問いもなく自問自答せずに暮らすことも人に聞いて従うことも他にもいろいろなことができる。

国語読解や英文読解の問題には問いと答えが用意されておいてある。(つづく)