上尾市予備校 ヒカリブログ

上尾市にある予備校,光塾のブログ

定期試験の準備でやるべきたった1つのこと。plus アメリカの首都はハワイである plus ヴォクはカッコつけたがり。

たまには定期試験の話。

普段は実力をつけること、圧倒的な実力をつけることを目的にしている人がどういう修行をしたらいいのかしかヴォクは気に留めていない。そのことにしか気を遣っていないので最近定期試験という話題にここであまり触れていなかった。

定期試験学年一位シリーズと傍用問題集をなめんじゃねー、以来だ。

最近ある子に聞かれたので答えたことをここに書いておくことにする。

 

定期試験には何が出るかといえばそれはひとつである。

定期試験は何回もあるがたったひとつのことが訊かれるのである。

定期試験に出ることは予想がかんたんにできるのである。

それは教える側が教える時に気をつかったことを定期的に行なっている試験では問題にするということだ。

定期試験の実施にはいちにもににもまずもって効果測定、理解度確認という意味合いが大きい。

 

「だってさー、だってさー、(ヴォクの身近な人の口真似で)気になるんだもん。」

 

だからたとえ書いた答えが間違っていたとしても教える側が正解と区別しなかったような微妙な間違いの部分は問題視したところでないところでのエラーなので、そして採点基準に含めない部分でのエラーであるので時折マルをつける。つけてしまう。(よくある)

そのことに何の問題もない。定期試験では。

まるまるもりもりみんなまるだよ♪

 

定期試験の準備というへんな言葉が世の中にあるが何か特別な準備をしようと探索すること自体がもう誤っている。

普段の授業をよく聴いてよくメモしていれば直前にやるべきことはノートを見返すことしか残っていない。

ノートをとっていない人はもう準備のしようもないということになる。

ノート言えないジャパン、もとい、

ノート見えない、暗記、パン。

 

教える側が何を教えようとしているのかその意図を見抜きながら授業を受けるということが教わる側がやることのトップランクになるのだ。

すると教わったこともわかりやすくなる。

この人はいったい何をいま伝えようとしているのだろうかと人間は考えて授業を受けるわけだ。

 

普段から人の話を耳をふさいで聞こうとしない人は授業の意図をつかむことも、定期試験の問題の出題意図を掴むのも、困難になってしまう。

 

おれの、オレの、俺の話をきけー♪という歌詞があるが定期試験で高得点をとるには人の話を聞いておくことは当たり前田の(引退後にいろんな話がきけてよかったよ)クラッカーだよ。アタボーだよ。

 

 

ただし担当の先生でない別の先生が定期試験を作成した場合はこの限りではない。(ズコッー。)

 

plus たとえば英語の構造にカッコをつけて示すためのノートアプリにipadのGoodNotes5とNoteshelfとGoodReaderとパソコンのexchangeEditorを全部使って作っている。

一個のアプリでやれれば楽かもしれないがそれぞれに強み弱みがあるから右往左往、西へ東への横断的操作になる。

ノートのような質感が欲しいときもあれば解説の色のマーカーペンの色合いが見やすいものもあれば、pdfファイルの大量処理に強いものもあれば、exchangeのようにOCRでテキスト画像を全部デジタル情報の文字に変えてしまうのに激強いものもあるというように、すべてのソフトごとに適材適所がある。Noteshelfの「紙のインクの本物の質感」という売り文句ははじめて書いてみた後は売り文句でも宣伝でもなんでもない誇小表現でしかないよ。

 

ひとつ言えるのは25年前にワードと一太郎とクリエClie(It's a Sony.)なんかでやっていた頃に比べて直感的に使えるいまは本当に楽しいということ。

 

当時親しくしていた人にクリエを買ってもらった。

誕生日に何が欲しいか聞かれて発売されたばかりのクリエといったらすぐに買ってくれた。

そのクリエを大事に職場でも使っているとカッコつけている生意気な人だというような目でじっと見られることがあった(自意識過剰ともいう)。

 

その無言の視線たちの意味はどうしてテキストでなんでも打つんだということかもしれんが、スケジュール管理PADのザウルスなどでなく大きめのワープロやバイオVaio(It's a Sony, too)のような小さなパソコンでもなく手のひらサイズの電子端末に、ヴォクの想念(現実でも非現実でもない生まれたてのアイデア)、教材、大事な内容をテキストとして思考速度でテキストとして打ちテクストとして残すことがヴォクにとって肝要なことだった。

 

アイデアはすぐその時に打ち込む必要があったんだ。

 

そんなことを大学入試のイグザムという英語ソフトと中学生のnew trasureやクラウンやsunshineなどの英文にカッコをつけまくりながらよく思い出す。

 

そうヴォクはずっと以前からカッコつけだったんだ。{(かっこ)だけに。}

 

plus 「はまい話」

サンドの伊達さんたちの「エモい」という言葉を使うのはどうかという話が面白かった。

エモーションやエモーショナルということは人間関係や情緒にとっては非常に重要だ。

相手に気を遣うことをしているのかという部分だからだ。

 

いっぽう数学の世界では、yesかnoしかない。

あるいは真か偽しかない。真でもあるし偽でもあるとか、部分的に真だということは日常世界には腐るほどあるが数学の扱う論理学は2値論理学なのでそのような答えになるような proposition 自体が問題にならない。

 

ヴィトゲンシュタインの有名な話で、

もし「ハワイがアメリカの首都なら、クジラは魚である」という命題(条件文)がある。

ハワイがアメリカの首都でない以上、クジラが魚であってもなくてもよいのでこの条件文はもちろん真である。

 

ところが人間社会では前半だけを勝手に問題視してハワイはアメリカの首都じゃないよなどという反論がすぐにくる。笑えない話だよ。

 

数学が小中高でどうしてこうもたくさん扱われるのかはそれはひとえにもっとも単純な論理学である2値論理学を学ぶことを通して論理をも身につけてほしいという考えがある。

 

わかりやすい例を言えば数学をやると、誰だって、「p または q」と 「p かつ q」についていつも気にするようになれるし、数学をきちんとやった人なら数学の「 p v q 」の意味が「pが真 または qが真 または pとqがともに真」ということを考えるようになる。このように数学という論理学をやると論理を日頃から意識できるようになる。

 

無論、微積分を一応の終点とする高校までの数学に対して、すなわちサイエンスの中の道具としての数学に対しての、社会から課された学問的要請があることは言うまでもない。

 

世の中で主張される論理にはあまりに間違いが多いがそれは基本的な論理を習得しないで考えたり話したり書いたり読んだりしていることが原因である。話の筋が社会に出てからわかるようになるように数学を通して学ぼうというのが数学に課された意味であるし、数学を学ぶ人が見出す心地よさ楽しさもここに大きな部分がある。

 

plus 

英語難構文のトリセツ、これまためっさいい本。英語接辞の魅力―語彙力を高める単語のメカニズム― と一緒に一年後の光推薦独学図書リスト入り確定。バシッ。

 

plus 英語の仮定法を小中学生に説明する際にヴォクはまず先に書いた条件文について扱う。

 

「ハワイがもしアメリカの首都だったら、私は3回回ってミィーヤァというだろう。」

この文を英文にするときは現実度が低いので100%助動詞過去形を用いなければならないのが English の文法である。

はなからミィヤァと言うつもりがないのが英語の(emotionを表すための)法助動詞のポイントであるから助動詞と仮定法を真に理解しないとこの内容を英語で言うことはできない。

 

それはそうなのだが、この条件文は真であるというのは論理という点で非常に大切なポイントだとヴォクは考えている。

条件が偽であるということにも重きがあるのであり、だからこそこの英文にはif節が省略されることなくきちんと英文内部に現れているというわけ。

 

if節を書く書かないは(たんに仮定法の英文1つが存在するという点だけで考えたら)自由であるが、書かないといけない理由があるからそれ以前に書いていなければいま書くのは当然と言う流れである。

 

人間は感情に左右されて動く生き物でもあるので、猿から人間になったという進化論を聞いてもまずはんなこたぁーないと拒絶するわけで、

さきの英文を聞いた人も頭の中ではまず speaker は犬好きじゃなくて猫派なのかということも同時にとらえるわけだ。あるいはまた、もっと感情を深読みして、嫌いなネコの声真似さえしてしまうよとまで主張しているのだなと聞いてくれることもあるだろう。

 

StarTreckのデータは、エモイと論理の中間的存在というわけで実に人間描写に役に立っている。

仮定法が英語の文法の中で面白いのは英語の文法の中で唯一、factかどうかに関わっているからであり、他の言語にはそこを区別しない言語も多い中でそこを必ず区分する英語を学ぶ時におもしろい点だと思う。

 

emotion, mood, proposition そんなことをエモイという新しい日本語の言葉の使い方を考えながら思ったのであった朝顔の新芽が出る頃、in 2022。