小学生がもしも思っていることを言うとそれがものすごく面白いことだってことが少なくない。
「なんで音読みと訓読みって2つもあるの?」
だってさー、だってさー、
音読みだと中国から漢字を借用して借りて終わり。
そこに日本独自なものはないのだが、
日本人の日本人たる所以、
日本人が創意工夫しまくったことに、
漢字を発音するだけで意味が同時に頭に入るようにもしてしまったこと。
これってすごすぎるよ。
たとえば、「ガ」と読んだある字がある。
この時点ではまだ、何のことかわからない。
「ガが流れていてさ、」
うーん、謎々のようだ。
riverと読んだ英語がある。
ブリティッシュイングリッシュやアメリカンイングリッシュやその他の英語を知っている人しかそれがどんな意味なのかわからない。リバーという音と川という意味の間に連関がないからだ。
日本人は「河」を読む時に、「ガ」と合わせてそれとは別に「かわ」とも読むことを決めた。
すると水の流れのことだとわかるから。
英語の接頭語や語源にも通ずる工夫がここにある。
河と読むだけでかわのことだともわかるってものすごく便利な点だ。というようなことを思い浮かべながら、ヴォクは、
「訓読み最高っ。」(家系ラーメン店を出る時に「家系最高」と言いながら退店するときの発声で。)と答えた。
その後いささかの補充はしたけれど。
plus 別の小学生数学。
この子の数学分野ではいまは高校数学の図形をやっている。少ない公理からたくさんのことを導くという数学の論理の楽しさを味わっている。
「平行」と「錯角が等しい」は同値というのは次元の高い問題では理由として用いてよい。
しかしながらいまのような問題ではこの同値性を示さねばならないから決してやさしいものではない。
当たり前だのクラッカーだからさーではダメというわけになる。
公理をあらかじめ見ていたのでそれ以外のことはすべて公理だけから導いていくというのがルールだった。
面白い問題だなー。
問題を持つこと自体に最高の価値があってすぐに答えを知ることに意味はない。むしろ答えは絶対にどう間違ってもヴォクがこの子に教えてはならないわけで数ヶ月か数週間かせめて数日考えたいとそういうことになった。
こうりやーえらいむずかしいなー(こうりだけに)。