たまにはどうでもいい話。
問題意識を持つのと成果は比例する。
たくさんのタコ焼きを売る屋台はどうしてたくさんのタコ焼きを売ることができるのだろう。
たくさんの豆腐を売る移動販売車はどうやってたくさんの豆腐を売っているのだろう。この家は買いにくるはずという経験を実際の道路まわりに応用し実践してはいないか。お客がくるはずの家の前ではトーフーの音を鳴らす時間を長くしてはいるまいか。
ひとつに工夫に満ちあふれてるんだ。
彼らはお客がどんなものを求めているのかをも考えながらタコ焼きを焼いている。
学習でも問題意識を持つのが成果に比例する。
「この問題はあの問題点について議論しているのだなぁ。」
「あれ、この問題にはなにか意味があるのかな?」
何を問題視してるのだろうかといつも考えながら問題に取り組むなら成果は2倍にも3倍にもなるだろう。
学習の成果は問題数やページ数の多寡によるわけではない。ましてや解答例ばかりをすぐに見てとりあえず覚えとけといった受け身の取組み姿勢では上達はない。
学習の成果は机に向かっている時間の多寡にのみ左右されるわけではない。
仮に解いた問題の数が少なくても自分なりの問題意識を持って格闘するその思考の深さこそが成果を左右するのだ。
今日の子は問題集の解答例に自分の考えたことをメモしていた。
解答例をただ読むだけでなく自分はこう考えたぞという思考の軌跡をノートしてた。
その子の問題集には取組み日、星(点◯、実◯)、疑問符など印と付箋紙がたくさん入り乱れ、一言で言って格闘する思考学習をやっているように思えた。
それに初めて見るしるしもあって暗号みたい。(解読不能)