本に書いてあることを読み取るセルフラーニング値のことを書いた。
メリットのうちのふたつ目は限界までいや限界過ぎても自分で考えるセルフラーニング値のこと。
セルフラーニングに慣れないうちに「わからない問題に?をつけなさい」と言えば、ちょっと考えてわからないだけでなんでんかんでん一切合切?にする子がたまにいる。解答のヒントをよく読みもしていなければ、わかるところまでを文章や絵や図にすることもない。ただ?だけをポカンとつけてノートを空白にしている。
ダメダメ。それ、つかれたから?にしただけでしょ!考えるのが面倒くさいんでしょ!文章読んでないでしょ!
いったいどこまで考えたのと突っ込む。
何行目のどの言葉がわからないの?
指示には従っているだろう、?がたしかについているから。でもね、考えてないでしょ?
独学者はそんなんで聞いてもいけない。仮にその行が?でも、ほかの行はすすめるしかない。独学者はわからなくなってもわからないままそれより他をすすめるしかない。
ウチは問題の答でなくセルフラーニングを教える塾。いまは小学生からしか入会を受け付けていないが、昔はたまに中学生からの入会を受け付けしていた。
中2くらいからはじめて塾というものに来る子がいたが、彼らはそれまで学校と本に学ぶスタイルをとっていたからだろうか、自分で考える習慣を獲得していた。基礎的なものに自力で取り組み、自己流で一定の結果を出している。埼玉は塾を利用する子がこれだけ多いというのに、塾に行かないだなんて骨がある。実際、限界まで考えるカンガエル。つまり塾に入ったときからセルフラーニングができている。
こういう子もまた伸びる。
コーチからのちょっとした提案が、自分で独自につくってきた学習法と衝突し化学変化を起こし、おお化けしたりする。ヒントを少し言えばすかさずとびつきメモをする。サバンナのハイエナみたいに(見たことないげど)。
習わない、教わらないのは、自分でやるしかないとあきらめるような仕方で自力で考える習慣をつくることになる。
習い方が上手なのもいいが、ひとりでトコトン考えるのもわるくない。
全部わからなくてもいいじゃん、人間だもの。
一晩二晩寝かせて考えてみたらどうだろう?
限界過ぎまで考えてみたらどうだろう?
(つづく)