セルフラーニングをするにあたり一番の障害は自分で自分にスタートの笛を吹くことだ。いちどはじめてしまえば30分、60分は誰でもとまらない。はじめるまでの時間差が個人差が大きい部分なんじゃないか。
よ~いのドン。
どどんどん、ドドンドンっ、
ドドン、どんどん、どどんどんっ。
図書館ではやります。そうだね、ほかにやることないし。
塾ではやるんです。当たり前だ、笛が吹かれるのだから。
私がやれと言うまでやらないの。そ~だ。笛を自分の首に提げていないと笛が吹けない。毎日やれやれ言われたらどうせ言われるからと、つくられる夜ご飯を待つみたいに、自然に、笛の音を待つようになってしまう。
勉強ならひとりでできる。言われなくても気がつけばやる。
勉強は本来楽しいものだ。
ご老人が学校にゆく。中学校に高校に大学に。学びたいから。
七時から勉強するのが毎日の日課(ダブリで)です、と話していた子(小4)がいた。この子は勉強の意味に気がついている。時計を自分で見て自分から勉強を開始する。
やりなさい、はじめなさい、そんな言葉はいらない。
本当にいいものなんだから、気がつけば言われなくてもやる。気がつけばとめられても電気がなくてもやるようになる。
親が子に伝えなければならないのは勉強開始の日々の合図なんかではない。
勉強の意味なんだ。勉強の価値なんだ。しかもそれは一たび伝われば何度ももう言わなくていい。
その笛を首にかけてあげたらいい。