わざわざ書かなくても見え見えだが、最近は成績があがるための「どうでもいい話」ばかり書いている。僕が書きながら考えているからだ。
k先生の結局ココロが決めているのだ、を読みかえしてみながら考えても、やっぱり心が決めているのだろうかと最近考えるからだ。(いろんな方の塾ブログを読んでみても姿勢や心の話がたくさんあり、大変勉強になる。)
成果をあげるには成果をあげるための姿勢が必要。
作業速度をあげるためには作業速度をあげるための姿勢がある。
姿勢をみにつけるためには心(意識)が必要。
心になるには、身体が伴わなければならない。
健全なる精神は健全なる肉体に宿る、とはよくいったもので、勉強をピシッとしようと思うならまず姿勢をピシッと正さなければならない。
いくらなんでも寝転んでゴロゴロしてばかりいては勉強は進めにくい。進めやすいのもあればその姿勢ではすすめられないものもある。なにより書く作業がしにくい。
ソファの上ではできない勉強もある。
健全な姿勢は健全なる精神や健全なる身体とともにある。
健康的で健全なる姿勢を保つことは、当たり前だが、成績をあげるための必要条件なのではないだろうか。
好きこそものの上手なれ、も先日引用したが、好きなものには人は心をこめてとりくむ。
歩くことひとつとっても、泥に汚れた昔のクロックスで歩くよりはこだわりのドジャースモデルのお気に入りの色のクロックスで歩いたほうが楽しい(かもしれない)。歩くのもうまくなる。一歩一歩に心がこもる。
もし好きな時計がいつも腕にあれば毎日時を確認するのが楽しい(かもしれない)。
シャーペンにも書きやすい好きなシャーペンもあれば書きにくいどうでもよさそうなシャーペンがあるだろう。
勉強ができるようになる瞬間は、その科目にのめりこみ没頭する瞬間の中に隠れている。人から教わるにせよ、自分ひとりで考えているときにせよ、好きを感じ没頭するときが、人はそれがうまくなる。
もしそうであるなら、没頭状態や集中状態をつくりだすための姿勢の獲得こそが、勉強をするときに求められるものなのかもしれない。
心や集中力や脳はたしかに目に見えない。だから科学ではなく精神論として片付けられてくることの多かった分野。でもそういう領域のナレッジも蓄積することで一歩前に進むことができるはず。
そういうわけで、書きながら考えてみます。
ほなね。