葡萄糖チャージはもともとドパクリだった。
今回からはタイガーチャージの話。模試の前に全33回で書いてゆこう。
塾では試験前のタイガーチャージ週に突入している。
今月も受験生が模試を受ける。首都圏レベルであったり全国レベルであったり全県レベルであったりして、母集団が小さくなく順位や偏差値、志望校の合格判定までハッキリと出る。目的地までの距離が出る。結果に対してはだれも言い訳ができない。結果の紙は一方通行に送付され、返事はできない。そして数値の履歴は年間記録用紙一枚に積み残ってゆく。次回以降受けるときにも今回の結果が表示され続ける。
それはまるで、イチローの過去の安打数が修正できず、マスターズの終わったホールのスコアが訂正がきかないようなものだ。
それに向けて範囲内を復習してきた。
範囲(前学年までの全部)があるからには復習を一回りしてから受験することにしている。結果が出ないはずがないような計画を立て広範囲に及んですべての単元の演習をしてきている。3月4月の2か月間をそれに費やしている。期限を前にして課題をすでに完了させている子、計画通りの100パーセントが終わりそうな子、80パーセントくらいならなんとか終わりそうな子、計画に無理があった子、色々だが、総じて二段階目標(まえに書いたストレッチ目標) の低い方のハードルはみな超えているんじゃないかと感じている。満足はできないがベストを尽くしている子が増えてきたように思う。
ベストを尽くして得た結果になら意味がある。
やったことが効いたか効かなかったかが身をもってわかる。
どれだけやったらどれだけ結果が変わるのかわかる。
努力が裏切らないかどうかわかる。
望んだものが達成できるのかがすこしわかる。
なにもしないで受けて得る結果とは訳が違う。ヴォクはこのことを一番たいせつにおもう。
よい結果を残すにこしたことはないのだが、結果がよかれあしかれ、自分でがんばってとった数字を自分の実力としてまっすぐに見つめ、次へ向けた目標設定に生かしたい。
ベストを尽くした上での結果ならそれがどんな結果であれ笑顔でそれを受け入れられる。
それにしても試験が近付くと胃がいたくなる。最終日の17番ホールのグリーン上で優勝を左右するかもしれぬパーパットを決めなければならないプレイヤーの気持ちはこういう感じなのかもしれない。
信頼に応えたい、結果を出して一緒に喜びを分かち合いたい。
果たして全員が結果を出せるのか。試験前に私はやった!という自信をもって「自分の力をそのまま出す」というようなウェルカム感覚を持てたらよいと思う。
ほなね。
模試前に、埼玉県にて、川越のお菓子をほうばりながら。
(タイガーチャージ(2)へ続く)