ぼくは生涯一塾を目指している。塾には定年というものがない。
塾をやりたいと思ったのは中学一年のときに、えのもとコーチに会った時だ。塾ならえのもと氏がテニスでぼくたちに教えてくれたことを勉強で教えられるんじゃないかと当時子供心に考えていた。
えのもとは言った。
「やるだけやった」というのは限界を超えたあと、さらにやってから言いなさい。
19時10分、まだなんとかボールが見える。普通に練習は続く。
19時20分、そろそろボールがあまり見えなくなる。後衛の練習になる。
19時30分、暗い。公立のおんぼろコートにライトなんてなかった。サーブレシーブ練習が始まる。
19時45分、もはや真っ暗。ラケットを振るのは危ない。終了。
コート整備後、監督の話。
暗い中から教えをいただく。
コーチ・えのもと:「限界で身体が動かなくなった時にラケットを振りなさい。無駄のないスイングができるから。わかったか?」
全部員:「はい。」
そういうコーチ・えのもとはテニスがすごく下手だった。テニス経験0だったらしい。しかし彼はテニス部の監督になる前の年に公立中の女子卓球部を県内優勝させていた。そしてぼくたちを監督一年目にして、県大会優勝は当たり前の常勝軍団にしてしまった。
ぼくの先輩もチームメイトも多くがテニス推薦で高校に進んだ。
もやし体質のぼくが、優勝しちゃってた。
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