東急ハンズでセラゲルが復活していたのを発見即ゲッツ!サラサラ書ける液体ボールペンIC(アイシー)を早速お気にのペルナンブコの太い木の軸に入れてみた。新しい色3色もおもしろい色だね。万年筆みたいな書き味にヌラヌラしているヴォクです、おっ波〜。
合格体験記などを読んでみればただちに次のことに気がつくだろう。
みなが同じような参考書をやっているなと。
具体的に書名を出すのはどうかとも思うが、書いてしまおう。
ここ足音(以前は「花の匂い」その前は「せるふすたでぃ☆ネット☆」というブログ名だった、足音は三代目なんです、ええ。はじめはミスチルの曲名じゃなかったんだね)でその書名のことは最低10回は書いたことがあるはずだ。
英語は受験教科として勉強をやる人が多いので国語社会理科数学以上に多くの人の共通部分が大きい。だから英語の参考書のひとつを例にとる。
話は『英文解釈教室』のことだ。教員免許をとるときに多くの方がやっていたことを聞いたことがある。教員が学生だった頃に自らがやった参考書ということもあるだろう。この本の英語の学習法、指導法に関して賛否両論あるということは結局この参考書の持つエネルギーがとてつもなくでかいということだ。ヴォク個人のことを言っても仕方がないが、少なくともヴォクは受験生である年齢までに24周以上正編(当時はハードカバーで入門編も基礎編もなかった、5冊以上同じ参考書を持っていてライン引く用、音読用、索引用、単語の意味書き込み用などと分けてつかっていた。1冊のほかはE君など先輩からのもらいものだった。)を読み、もちろん英文法教室、長文読解教室、英語要旨大意問題演習(これもまた英文要約のある東大の受験生の多くがやっていた)、テーマ別読解など入手できる参考書はすべて読み、「700選」は全文暗唱した。中でも英語構文詳解と英文法教室の2冊には他のどの参考書ともかぶらない項立て(体系や解釈には「比較」は扱いがなかった)があり、解釈教室と合わせての3部作(教室3部作ではなく!)がヴォクにとっては英語のすべての領域を覆う体系になっていた。
その後大学に入学以降も入門編、基礎編、英文法のナビゲーター、ビジュアル英文解釈、ルールとパターン、そして幻の処女作・・・、あらゆる参考書は入手して繰り返し何度も読んだ。読むのがもったいないとまで思うような気持ちだった。できるだけゆっくり読もうとしてきた。正編以外を何回読んだのかと数え切ることは正編の他にはあまり印をしていないから無理だが、解釈教室にあったことば、「血肉化」するまでという著者のことばを実行することしか考えられなかった。
英文解釈教室は何度読んでも解説に深みがあって、学びがあるのだ。(あくまでヴォクの意見だが)伊藤和夫の解説文を読むこと自体が英語的思考法や論理的な思考法を学習、習得することにつながっている。なぜなら伊藤和夫の解説文が意図的にそのような思考法に基づいて厳密に書かれており、読めば文体の面や思考法にまで影響を及ぼしてくるからである。『新英文解釈体系』と違って陽の目を見た『英文解釈教室』は哲学書と変わらぬ緻密さで英文解釈の体系を見事に描き、受験英語は伊藤和夫英語以前以後にわかれると言われるまでの時代を築いた参考書である。ビートルズと伊藤和夫がヴォクにとっては同じ英語のヒーローだった。
はじめは英語を読むということがしたくて読んでいたはずが途中から伊藤和夫が何を伝えようとしているのかが知りたくて読むというような姿勢に変わってゆく。英文はもはや全文ヴォクの頭の中に暗記されており、読み進める際に解説の流れも予測しているし全く同じ解説をつけることさえできる。英文だけを読んで復習が可能な最終段階にきているはずが、いざ解説文を読み返すとそれでも何かしらの発見がまだあったりする。
後日講義を勉強のため映像を聴きに行ったことがあるが、参考書に声がついただけのようで驚きの連続だった。まさか話すときまでここまで計画的論理的厳密とは思いもよらなかったからだ。伊藤和夫の伝えたいことは参考書の中にすべて書かれていたので講義を受けてはじめて知ったということは数えるほどしかなかった。しかしその話しぶり自体から多くのことを感じ学んだ。他の教科も多くの先生の講義を受けた。自分の受験の前にそのような講義を受けたらよかったのではないかと思われそうだが、そうでもない。独学してみないと独学のよさがわからないという面は大きい。独学(と言っても本を読んで勉強するだけだが)には独学のよさがあり、コーチにつくのにはそのよさがあり、講義を受けるのにはそれのよさがある。そのうちのどれかでなければならないというものではないしそれらの複合体の中に自分の勉強、自分の練習があってもいい。
書評を書いているのではなかった。
そう、コースとして、伊藤和夫の参考書をやる、というのはあまりにスタンダードで、ある意味あまりに凡庸な受験勉強コースになっているのだ。ミスチルの「足音」の歌詞にあるような足もとが見えにくい道ではない、舗装された王道になっている。
受験生がその本をやることにはいささかの新鮮さや珍しさもないがそのやり込み具合には僅差大差深さの差が大きいのであって、ただきちんと取り組むならば英語の実力が驚くほどつくのである。
話は英語のこの参考書のことだけではない。
名著や王道と呼ばれるルートは各科目において存在しており、そんなにポピュラーな王道で構わないというのであれば離れ小島の学生から東京都の神田の学生までだれでもこれらの本で英語やその科目を学ぶことができる。書名なら何もヴォクがいちいちとりあげなくとも、知らない受験生を探す方が難しいというくらいにだれでもやっているような名著なので他の科目の参考書問題集の名をこの記事に中に書くのはやめておくことにする。独学図書はこれまで119記事くらい書いていると思うが、120番目からは『英文解釈教室入門編』(高校1年生の英語で、「直説法か仮定法か」などの「文法上の区別を手がかりにして英文の構造に切りこむ」(原文ママ)ことを第1の目的に編まれている)、『英文解釈教室基礎編』(高校2年生の英語)、『ビジュアル英文解釈』について書いてみたい。
ひょっとして伊藤和夫をいま知ったという方がいれば後ほど入門編を読み終えた後に、ヴォクが次に書く「英文解釈教室入門編のマッスグ」という題の記事をあとから読んで読後の感想などを比べていただけたらこれさいわい。他の教科の参考書についてもアマゾンでしか書いていないものがいっぱいになってきたのでこっちにも書こうと思っている。なんで? なんでと言われても〜。
2つ3つの場所に書いた方が感想文が消えにくいかなー、って。ペンで原稿用紙に書いているものでないからさ。現に、10年くらい前に「セルフラーニングアシストブログ」という名のブログに書いていた本の感想文は短い文章達ではあったが全部消えてしまった。たしかエロコメントがいっぱい入って全削除をしているか何かの際に誤って記事を全部消したのだったかな。こういうのってやったあとなんで早まったのかと思うもんだ。以前Gmailの受信メールを7年前くらいに全削除したことがあるのだが受信フォルダにあるはずのファイルや文章が見られなくて後悔したものだ。以降、全消去はヴォクの中でしないことを方針にしている。(消えたあとでは遅いけどね)
この話は一度終わる前だがあの方の書かれたブログ記事「伊藤和夫だけは通らないで英語が出来るようにならないだろうか。」なども大変興味深く拝読させていただいた。王道があるということは王道でない道も確かにあるということを意味する。そして相性はいつだって大切なのだと思う。
ヴォクは王道を進むのを薦めたくてこの話を書いているわけではない。たとえば数学の王道もあれば物理の王道も化学の王道も、いろんな教科で王道(とされるような)大きな通りはある。
王道が嫌いな人だっているし小道を好んで選びたい人だっているだろう。
人混みがきらいな人だっているだろう。
どんな道だって歩いてみないとわからないもんだ。
歩いてみてから考える。
考える前に歩く。
そう、はじめに王道を歩いてみて、一度立ち止まって考えてみるのもいいのかもしれない。
王道はまっすぐに伸びているから多くの人をひきつけてきたのだと思う。王道にノンを唱えるのだっていいと思うが王道をまっすぐに受け入れてみるのだっていいと思う。大切なことは選んだ道をしっかり歩いてみるということだ。
一歩一歩しっかり歩んでみたい、まっすぐに歩んでみたいという思いで書いてみた。
さらに、スタディサプリなど、各種動画授業も安定化しているサービスが多い。ネットのおかげで誰でもよい映像授業を安価で受けられる時代の幕開けになっている。
この上、通信費がおさえられれば、学生にとっての学習環境の整備が進んでいくことになる。
通信革命の恩恵の一つがここにある。それについては次で書いてみよう。
(つづく)
plus 『オシムの言葉』
(引用)「彼に教われば若い選手はすごく伸びる。ただ、とても厳しい監督で、とにかく走らせる。」(終わり)
はじめて読んでいるとき何度思ったことだろう。ここにもコーチえのもとがいると。
(引用)ある日、オシムは突然言った。「今日はフルコートで3対3をやれ」(終わり)
おもしろい本だ。
plus テスト勉強をしている塾生が歴史の参考書に書いていたプレイカラードット。おもしろいものが書けるのだなー。めっさ欲しい。ということでぶんぐまると、そごうに入っているロフトに行く。SAKURA craft_lab の真鍮のボールペンもよかった。ロフトに特設コーナーがあって試し書きできた。真鍮には目がないので早速プレイカラードットとあわせてひとつずつをゲッツ。大切に育てよっと。
限定のシルバーもいいし全面真鍮もいいしめっさ迷った。シルバーの方も定番にしたほうがいいのではないかな。ついでにチタンも出すといい気がするがエイジングがないのではコンセプトが変わってくるのだろうか。
真鍮のペンは古いのを何十本か持っている。木軸ペンも金具部分は真鍮のものが多い。いい感じに酸化する。たまにクロスで磨くとピカピカの金色に戻ってしまうのもまたおもしろい。せっかく育てたキャラがセーブミスでいなくなってしまうときの気持ちになれるんだよ。(いや よぐわがんねがらっ!)
今回は迷った挙句買わなかったが大人のクーピーはめっさ書きやすかった。軽いし書きやすいしペンを繰り出すところの持ち手がまわしにくくてかわいいしでさいこーだ。オレンジが出たら買おう。それまではいただいたパンフレットのすてきな写真を眺めて妄想しよう。
さくらということで進学祝、就職祝などにはこういったお品を添えるのもいいかなー、って。ほなね。
plus いつもの文房具屋でシャチハタ オスモ のはんこをいろいろつくった。
手書きで書いた文字がシャチハタ印として1分も待たずに出てくる。
めっさ楽しい。
plus はじめて光にくる人には気の利いたことをいいたいものだ。
きょうは自分の口が勝手によりによってまたつまらないことをいってたぞ。
天気がよくないですね、ってあんたの口がよくないよ。でもね、第一声で天気はないよね。嗚呼。
まー、雑談なんてしないのがいいね。「こんにちは、失礼します」くらいで十分だな、あのね。ほなね。そういえばコーチえのもとと雑談したことが一度もない。想像すらできない。
plus
独り言が書ける日記というのはいいよ。
書いたら気が済んで忘れられるからね。書いたときに記憶がはじめて整理されるというか勝手に意味づけされるというか。
あーそういうことだったのねと、書かれたテキストを読んで後から納得した気になれる。
書いている最中に注意しないと手が勝手に書き始めるからそこだけは気を付けているよ。
中学生の頃香川照之の静かなるドンにはまって以来映画が好きで年間300本は当たり前というほんの少し特殊な生活をずっとしてきた。
時間がなくてもあっても長い映画を見るというのはなんとも贅沢な好みだが好きなものは好きなので理由などない。いや、理由は香川照之と言えばそういうことになる。静かなるドンはヴォクにとって映画の始まりだったのだ。
さきほど手が勝手に書いてしまうと書いたがブログを書くときはまさに毎回そのような感じで恥ずかしながら下書きもせずに思いつくまま書き殴っている。
どうでもいい話なのでどうでもいいことだが半分仕事半分遊びで書いているのが気楽でいい。
映画ビッグフィッシュではそのようなことがテーマだったと思う。いい映画だな。