試験は部活の大会と同じで結果は出さなければならない。そのこと自体には疑いの余地はあまりない。
いつも問題となるのが、どの地点にゴールを設定するのかという点。
入試か定期試験か、入学後の生活か、それともそもそも終わりなき旅であってゴールなど設定しなくてよいのか、と。
たしかに今回が最後の大会であるというのなら手段を選ばず勝ちにだけこだわっていたらいいのかもしれない。
でも大方の場合においては、試験はゴールにはならない。あくまでそれは通過点であるに過ぎないし、流れの中のほんの一地点でしかない。
いったいどこに向かっているのだろうか、そこをはっきりさせておかねばならない。
何をもって成果とするのか。
合格なのか。
上位合格なのか。
トップ合格なのか。
マインドの養成か。
どうせいつか独り立ちしないといけないんだ。
いっかい自分で全部やってみて。
道具は揃っている。
それも悪くない道具が。
大会参加経験もある。
なにをしたらいいかはわかっているわけだ。
失敗したら?
2回連続、もしも目標未達におわってしまったらどうするの?
万一それがあったとして、失敗の経験は次につながる。なぜなら、自分でやって自分で失敗できたのであればそれは経験になるのだから。
言われたことを全部やって成果をあげる。
言われたことを全部やってその上言われないことまでやって成果をあげる。
なにをやるかも自分で決めて実行して成果をあげる。
自分でやって失敗する。
いろいろな道があるものだが、失敗は自分のものとできるならこれほど身を助けるものはない。
あきらめていない限りにおいて、失敗したらするほど次に成功する確率は高くなる。
人は考える葦である。
失敗は成功のマザーである。(by 長嶋茂雄)
もし本当の失敗経験が前回できていたのなら、今回こそ、自分で全部決めてやってみるのがいい。
自分の流れは自分で決めるんだ。
「目標がこの上なく明確であれば、それがどこにあるのか、どうやったらたどり着けるのかはわからなくてもいいのです。」
(ブライアン・トレーシー)