当たり前だが、一人ひとり子別に夏休みの学習計画を立てている。
こんなに難しいことはない。教材を与えてポンというわけにはいかない。
低学年はセルフラーニングの習慣につながるように自分で立てるようにしてみたい。できる範囲で。
受験生や評定点が進学の絶対条件の子たちにはヴォクがかなりの部分まで介入する。どんな計画を立てるかが夏休みの成果のほとんどすべてを決定する。
流されるまま夏休みに入り部活の空き時間にできるだけ勉強する。そんな適当な計画でまともな成果など得られないだろう。
慎重にかつ大胆にメリハリつけて計画する。足りないなら付け足すまでだ。
教科や分野に穴はないだろうか。付け足すぞ。
到達点は高いものになっているのか。もっと高く。
課題の分量。2個にするか3個にするかでもしも迷ったなら、気持ち多めで4個にする。過ぎたるはなおちょうどよし。
その計画のノルマを達成することで得られるものは何だろう。
そんな効率や成果ばかり考えてどうする?とでも思われても全く構わない。
ヴォクはただ秋の結果を求めている。
子どもが定期試験や模試の答案用紙をもってきてくれた。
そこにはある明確な強いひとつの主張がある。
答案用紙をもってくる子にはみなそれがある。
「自分は努力を重ねた。
自分なりの仕方で思い付くかぎりの練習をした。
言われた課題をすべてこなした。
それでこの点数をとりましたがなにか↑
なにか文句でも?
次はまだあと何点をとらねばならない。
だから他にやったほうがいいことはないのか、あったら教えてほしい。やるから。」
でだしこそ悪かった今シーズンの実力ある日本ハムのように、尻上がりにならねばという気持ちに満ちあふれている。目を見たら書いてある。
コーチのヴォクはわかっていて隠すことは許されない。
○○をしたらいいのに。思っているだけでは何も伝わらない。
ここまでやらないといけない。だからやろう。と伝える権利がある。
あなたはどうなりたいのか。
この夏休みにやりたいことはなに?
そのためには何が必要なのか。
今週はどこまで進むのか。
日曜日までになにをやるのか。
明日までにどこをやるのか。
今、だから、何をするのか。
で、今日やったのか。
一週間後。やったのか、全部やったのか。それとも中途半端にして自分の計画に負けたのか?負けたのか?負けでいいのか。
すべては秋の実りのため。
そしてできることならば、練習自体を少しくらいは楽しみたい。