全国的に中間テストの範囲でもある動詞をテーマにする。
といっても学校でも古典文法はやるし独学図書(CD付)ももっている。入学してひと月だというのに「鋳る」が何行何段活用か躊躇なく言え(普通はア・ハ・ヤ・ワ行あたりで迷うものだ)、「心得」や「調ず」「御覧ず」が何行何段活用か言える子に対してわざわざ塾でも同じことを扱うことはしなかった(ケースバイケースだけど)。
「御覧ず」を「ザ変」というのは釣りバカ日誌の浜ちゃんを「はまざき」というようなものだし、アンタの山崎を「ザキヤマ」と呼ぶようななものだ。彼は「サ変」と言うことができる。
今は未知の助動詞・助詞・敬語までバリバリ・ザキザキ含んでいるかもしれないが宇治拾遺物語からおもろーそうな一節を取り出して原文16行を扱う。
出てくる動詞に片っ端から線をひいてもらった。線をどこまで引くのか。
御覧じてまでか、御覧じまでか。
活用の種類と活用形を書き込んでいる。
サイドに書き込めるようにあらかじめ2行空きくらいの体裁にしてある。
間違って朱入れしてもスペースはある、大丈夫。A4、1枚くらいがちょうどいい。
今日の高校生は95パーセント正解していた。何のヒントもなく、抜き打ちで与えられ初見で読んだ古文だったというのに。聞けば学校で毎回文法の小テストがあったとのこと。この公立高校はある意味において私立より細かい。
伝統は教材やテストにあらわれるようだ。名門と呼ばれる学校にはこういった学校オリジナルの副教材や小テストが存在するようだ。よいものはみんなでつかった方がさらによくなるし、長年継ぎ足しながら改良されてゆくものだ。問題集に広さと深さを感じる。
一人の教員が毎回オリジナル教材でベストを尽くすのも心がこもっていてよいが(わたしのことかっ!)、学校全体でナレッジマネジメントされた教材はやはりいい。
みんなに読まれ、何年も読まれ、飽きるくらいにまで反復され、おもしろくなって飽きないくらいにまで深化して存在する。
この子は読書量が多く国語はめっさ得意だが、古文までよく読めているようだ。
文章は今後2年と数ヶ月、全文暗記するくらいまで読みつぶせるように紙ベースとは別にテキストベタ打ちの原文もデータで渡してある。
飽きるくらいまで味読し読み込んだ頃には、文章内のすべての単語の意味が生きたまま頭の中に入ることだろう。
ほなね。すた、すた、…飽きると言えば、
飽く:
1、十分に満足する。堪能する。心ゆく。
2、あきあきする。
あかず:
1、心残りである。もっとその状態を続けたい。
2、不満だ。
(旺文社古語辞典より)