去年は学年1位がとれないまま、学年評定(学期評定ではない)のオール5をとった子が塾生に2人いた。早大本庄などの(学校)推薦や個人推薦などには有利な内申点となる。2人とも1位をとれずにずっと悔しい思いこそしても記録に残る9教科評定はすべて5であったようだ。私立の高校でも公立の高校でも、年間5ラウンドくらいもある細かい定期試験の学年順位なぞ(内申書に書かれぬので)見ない。埼玉県では私立の高校入試では内申点よりも北辰テストが重視されているし(附属高の推薦は内申重視が多いが)、県立高校入試でも浦和、浦和一女、大宮はじめ公立の難関高も内申点はあまり見ないという。
なにが書きたいかと言えば、
(1)定期試験の学年1位も10位も内申点(通知票)はあまり変わらないこと
(2)通知票自体があまり重視されておらず、推薦入試ではなく一般入試では試験当日のスコアがものを言うこと。
例をさらにあげるなら、東大入試でも通知票は見られない。ヴォクの高校での平均評定は3点代であった。
でもね、定期試験をヴォクは重視してる。ロカビリーさんや講師Aさんみたいにうまくは書けないが、定期試験でがんばることをヴォクは重視している。
決められた範囲があって、475から上くらいになると実力とは違うもんで決まってくる定期試験であってもヴォクは、ならば475をきっちりとってほしいと思っている。
まず、学年一位を狙う子が目の前にいるという現実。不安な科目はあるかと聞けばそういう子たちは、国語、社会、英語、理科、数学の順に、挙げてくる。見事なまでに100をとるのが(科目の特性上)難しい科目の順に言ってくる。
全部100を狙ってるからだろう。
社会をやっています。国語をやります、と一様に彼ら彼女たちは口を揃えて言っている。95点でいいなら社会をそこまでやりこむ必要などどこにもない。でも目標を100に定めてしまうと、まだまだぁ~!まだまだぁ~!と、自分との闘いが続くことになるのだ。腕たて伏せでももう限界と思ってからが勝負だが96から上はそこをやるかで決まる。
定期試験の学年一位は己に高い目標を設定し、それを達成すべくがんばることを子供たちに教えてくれる。
定期試験は学生生活の記録には残らないが、記憶に残るがんばりを教えてくれる。がんばりチャーンス!
自分に克つことを自分で決めてる子たちは塾があろうとなかろうと自分の決めた通りに眠くなるまで一日中勉強してる。勉強場所が家なのか塾なのか図書館なのかなんてそんなの関係ねぇ。勉強ならソファの上でも山手線をまわりながらでも、温泉の中でもできるし気分転換をいれる練習もたいせつ。一位をとると決めた子は、遊ぶとき以外はずっと机にかじりつくものなのだ。
勉強ガッチャン。
ヴォクは試験前でも塾には呼ばない。補習もしない。宿題や課題も出さなくなる。だって、ガッチャンが必死にかじりついてるのに、引き離して邪魔したくないから。
その代わりに目標を聴く。過程を聴く。結果を聴く。試験の点数を聴く。なんで100だったのかを聴く。なんで100とれなかったのかを聴く。すぐに聴く。試験結果が出てないうちにまだ?って聴いちゃう*1。まとめノートを見せてもらう。
また今回も定期試験の自分で決めた目標点を狙う子たちがたくさんいることだろう。1番をとれるかとれないかは本当はヴォクは気にしてない。でも目標通りにいくかどうかをヴォクも見届けたいな。
そんなことを要約して、「とろうね」と口に出している。一番きれいな色って、わかりにくいものだから、心に見えにくいものだから、そんな言葉くらいしかヴォクには見つからない。
またね。
*1:鬱