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えのもとみのるといふひと(10)

コーチ榎本は、テニス経験がなかったことは前回書いた。コーチ榎本はテニスを独学で本に学んでいた。軟式テニスの本を読んで何かを発見してはそれを僕たちに試した。一本足でケンケンしながらラケットを振らせたり(体重の重心移動の練習と言われた)、スマッシュするかわりに利き腕と反対の手でボールをキャッチさせたり(ボールの真下に入る練習と言われた)、スマッシュするかわりにボールにヘディングさせたりした(ボールを前にとらえる練習と言われた)。僕が一番怖かったのが、ネット前にたたされて監督が1メートルくらいのところから僕めがけてボールをたたきつけるのを壁のようにボレーで返す練習。ボールに攻撃されるめがねがぼくの鼻をつきさし、いたくてボール恐怖症になった。効果あるのか?とみんな帰り道には文句を言いながら帰ったので、部員はすこぶる仲がよかった。榎本監督を憎んでいたので、共通の(仮想の)敵が出来て部員がみんな仲良くなるようにコーチは考えたのだと思う。

コーチ榎本が他のどこの中学のテニス監督より徹底していたのは練習時間の長さであった。夏休みは朝6時に校庭でのランニング開始、ラジオ体操のほがらかな音にあわせてまったり身体を動かす子供や老人をうらめしくおもいながら上半身裸でグランドを走った。途中にダッシュが入るたびに息がぜいぜい言ってもう水を飲むこと以外頭に入らなくなる。コートに入る前に身体はグダグダになるのだが、そこでも水は飲めず、その後、ボールを使った練習が始まる。「疲れきったときのスイングには無駄な力が入らない、それを身体におぼえこませろ!」というのが口癖で、耳にタコができた。途中、日射病を避けるため坊主頭に水をぶっかけることが許されていたので部員達は隠れてそこで水を飲んでいた。今思えば榎本監督はきづいていただろうが水は飲むなよといつも言っていた。実際、大会の時になればわかることだが、水を飲んでしまうと一気に身体の動きが重くなる。疲れも回りやすくなる。水を飲まない身体づくりを彼はさせたかったようだ。練習は昼食休憩をはさんでそのまま夜7時近くまで集合練習が毎日あった(その後日が沈む瞬間までサーブレシーブの自主トレ)。休憩時はポカリスエットなんかを飲むのが精一杯で、疲れ果てて弁当もパンも口になかなか入らなかった。盆休みなどというものはなかった。そういえば塾に行く部員は1人もいなかった。時間があわないからいけなかったのだ。僕の場合はお金もなかったが。

コーチ榎本はそういう練習をさせ、才能も何もない偶然集まった僕たちをAチーム県大会優秀、Bチーム県大会準優勝というとんでもない集団に鍛え上げた。同校対決が県大会でできるなんて思っても見なかった。「30歳になったらわかるから気張れ」とかなんとか言われ続けて練習し続けたが、30歳をゆうにこえてからも、あの練習は何だったのだろうと考えさせられていた。

榎本監督が家庭も顧みず、365日練習をさせてまで、僕たちに体験させたかったことが、でも、今頃になって、だんだんとわかってくるようになった。「本気でやれば実現できる」そういうことなんじゃないかな。体力測定でも平均以下、走らせても特に速くもない。それでも県大会で優勝できる。ボールを100本たたいても全部相手のコートに鋭く返すことができるのは、繰り返しくりかえし、練習し、身体が覚えているから。練習した人には勝てない。才能がありそうな人間がそろったチームに対しても身体的には平均的な僕たちのチームが勝つことが出来たのは、練習量が勝っていて、ミスをしない。相手の力を利用して相手が強ければ強いほど速い球を返すことができる。それに練習量で負けているわけがないという確固たる自信(これだけは本当に全員が確信していた)があったので、試合でも根性もあった。相手チームより声も大きい、相手チームをにらみつける。色の黒さでまず勝っていた(大体強いチームほど真っ黒に日焼けしていた)。

あの頃からだ。与えられた条件で勝つことの喜びを僕たちは知り、努力は才能に勝ることを僕たちは実感したのは。大会の数と同じ数のメダルを取り続けることができると僕たちは信じるようになっていたし、実際にとった。金・銀のメダルが一番の宝物だった。

 

才能とか、能力とか、方法とかじゃないんだよね。独学で見よう見まねでテニスをはじめた集団が強くなったりできるのは努力なんだよね、といつしか僕たちは思っていた。

  「結局、量をやった人には勝てない」とか、僕がよくこのブログにも書いたりしているのにはコーチ榎本からのそんな教えが身体にしみついているというのがあるのだ。量をやっていると無駄がだんだんそぎ落とされていく。質から量は生まれないが、量は質をも生み出す。走ってはしって、打ってうって、叩いてたたいてとしているうちに、シンプルで美しいフォームに行き着くようになるものだ。ただきれいなフォームを見て真似ればうまくなるというものでもない。体格差だってある、身長差だってある、身体のつくりもみんな違う、自分にあったフォームをつくるとそれがまわりからは独創的で個性的にみえるものなんじゃないかな。そんなことを考えながら机に向かうヴォクなのです、みなさんいかがお過ごしでしょうか。

コーチ・えのもと ) () () () () () () () () ほなね。