でね、文章って一気に読み進められるときと少しずつしか読みたくないときってあるの。
はじめて楽曲を聴くときに聴き流すのが難しくて、もったいないから一時停止さえしたいときがひょっとしてあるように、最初なにいってるかよくわからないところはゆっくり読みたいものだ。
Pである。その理由はP'だからでその方法はP''のようになっている。反対に、/・・・
ここ/まで来た時、・・・はもう読まなくても予想できる。だから倍速で読みたいときがある。
もしもあくまでもしもだがテスト中のように文章を速く読みたい場合はこういうところは速く読める。
時間短縮できる。
反対になんだからPでないにきまってるだろう。それが2値論理学の基本であって対比の世界統一ルールである。火星では反対にのあとが同じPかもしれないけれど地上ではPの反対はPでないことが一般的だ。
試験では論理にかなった文章が選ばれているので予想を裏切らない部分が多く展開されていく。
こういったことはひょっとしたらあまり習うようなことではない常識であって公式ではない。
楽曲のたとえにもどれば自分でも歌いたくて演奏したくてもう100回も500回も聴いているような場合の聴き方に似て細部を聴いているようでいて実際には全体の雰囲気や流れのようなものを楽しんでいるのであってゆっくり味わうような聴き方はしていない。
そういうことがあるので一度わかった文章を何回も読み直すのは論理の勉強にはなるかもしれないが新しい文章を読むことの練習は新しい文章を読むことからしか得られない。
もちろん10回味読したあとに何かの発見や縁語掛け詞(のようなもの)をひっそりと新発見することはあるかもしれないが論旨がはじめてわかったというようなことはあまりあり得ない。
以上が、列挙と反対にのあとはある程度速読みできるのその1である。
その文だけ読んでまったく意味がわからない多くの場合に抽象的な文を見解あるいは主張という。
抽象で文章が終わることはなくそれを伝えるために具体を用意する。
この具体は速読ができるものではない。
なぜならまだ見解がつかめていない段階だからだ。
見解がつかめているところは早く読み聞きができて見解がつかめていないところではじっくり聴く視るようにすること、このような速度差のある読みをすることが文章を読むのがうまい人ほど自然に無意識に行なっている。
ウーマンラッシュアワーの村本みたいにずっと早口で喋り倒すのは言いたいことを伝えた後なら、したがって、列挙は早口でも理解されうるので、とてもいい芸だ。
バイトリーダーのネタを思い出してそんなことを考えた
私は貴方を好いている(BGMは題の歌)。