ヒカリブログ

上尾市と桶川市の間にある学習塾光塾

(もしもシリーズ①)解答付で課題を渡していたのに、答え合わせをせずに塾に来る子がいたら?

もしも、しぃ、もしも、グループ形式の授業で、宿題はやっているが答え合わせまではしてきていない子供がいたら、(まともな塾なら、)授業に参加させず、自習部屋で宿題の答えあわせと解き直しをやってから授業に参加させるなり、帰宅指導をするなりすることだろう。 だって宿題をやらずに授業に参加させたところでその子自身の空回り率がアップするだけじゃん!授業についていけなくてただ受身で授業を受けるだけになるじゃん!  もしも、しぃ、もしも、個別対応形式の授業で、宿題はやっているが答え合わせまではしてきていない子供がいたら、(まともな塾なら、)授業を開始せず、「なぜ答えあわせをするべきなのか」の意味トークから授業を始めるか、あるいは帰宅指導をすることだろう。その前に体調が悪かったのか悩みでもあるのかと聞くこともあるかもしれない。  (話をそらす。数学の問題で考えてみよう。計算力が今ひとつで、どうしても正解率が60%から80%くらいのあたりをウロウロしている段階だとしよう。そういう段階の子の計算力を90%から100%近い正解率のところまでもっていこうと考えたら、計算問題を解くだけでは駄目だ。まず間違うことを前提にもちろん解くが、次に「間違い探しタイム」をとる。ノートの左半分にある計算のどこが間違いだったのか、ノートの右半分に再度書きながら(左右1:1対応で)、間違い探しをする。そこで間違いに気づいたその瞬間・瞬間に計算力が向上する。もちろん指導員は始めの間違いが、どのように正解になったのかまで後から見ておく必要はある。正しく、楽な計算方法をできているのか見ておかねばならぬ。最初赤ペンで×の問題が、次に青ペンで○がつけられる。子供自身の手で。この瞬間だ。はじめから合っていた問題なぞ、むしろ無視してよろしい。宿題は何問正解するかを見たいがためだけに出しているわけではいささかもない。正解数が10問/20問だったか、15問/20問だったか、そんなの関係ねぇ。間違った問題を素材として、自らの間違いを発見し訂正するトレーニングを積むために課題は出されている。授業の中だけで解ける問題の数には時間的制限がある。30分間塾の中で問題を解いてしまったら、授業の大半の時間はそれで終わってしまい、問題解決の時間は少なくなる。そこで作業タイム(問題を解く、答えあわせをする、解き直しをする、それでもわからない問題には?マークをつける)を、セルフラーニングしておくのだ。授業は?マークの解決から始まり、課題全体の進捗確認で終わる。たしかに「1000題の計算問題を解く」こともそれはそれで必要かもしれぬが、ただ数をこなすだけでもいけない。 肝心なことは1度間違った問題が、2度目に正確に解けるようになっているのかというその1点に尽きる。そこで、「1000題の計算問題を解く」というような解いた問題の数ばかりに焦点を置くような言い方をやめて、訂正しよう。「何問間違って何問間違えなくなったのか」に着目して、何問正しく解けるように向上したのか、ということだ。計算は速くある必要はあまりない(大学入試センター試験では一定の計算速度は問われるが)。それよりも計算は正確である、何よりもまず正確である必要がある。自分がどこを間違えたのかを覚えるまで、自分で自分に注意するトレーニングを積んでいく必要がある。話を戻す。) 採点をしない・解き直しをしていないということはつまり、自ら学習する意欲がなく、それでいて宿題だからと形ばかりはやってきた、完全受身(それでいて忠実)な段階であるわけで、この段階から抜け出し、自発的な学習姿勢に移行していくためには、かなりの忍耐が必要となる。学ぶ側も指導員にも忍耐が必要となる。そしてその我慢の壁の向こうに、セルフラーニングの世界が開ける。だから、宿題はやっているが答え合わせまではしてきていない子供がいたら、授業はストップ。確認しよう、90点とりたいのは誰なの?ヒカリ君? 確認しよう、目標が95点ですと言ったのは誰なの? できたら100点をとりたいのは誰なの? じゃあ、やろうよ、徹底的にやろうよ。中途半端はやめようよ。やるならやろうよ。やったろうじゃん!(野球漫画の名前で了)。ほな、教材作成に戻ります、すた、すた、……やったろうじゃん!。教育ブログへ

あっ、新シリーズ始めます。 「もしもシリーズ」ね。 あくまでも、もしも、の話。