ヒカリ

DEEP RIVER 光

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たいせつにするもの(終)

(3)で勝ち負けとは書いたが、他人を癒したり、隣人を愛したりする教育~愛の共育~なくして、勝ったり負けたりするのをよいとぼくは思わない。他人を蹴落とすのは本末転倒。

勉強を愛する人は、まわりにプリントをもらっていない子がいたら貸し与える。平等に戦おうという精神がある。

テニスの大会。シードであろうとなかろうと、1回戦、2回戦と突破し、最終的に強者の中の強者だけが決勝戦に進む。連日にわたる試合につぐ試合の最後の一戦。夜七時。あたりはすでにくらくなり決勝のコートがライトアップされる。そこに立てた強者たちを負けたファンたちもうっとり観戦する。なんと無駄のない合理的なフォームか。それでいてなんと個性的なフォームか(うっとりとためいきをつきながら)。真似したくなるほどのフォーム。ビデオにとっている観客もいる。OBも後輩の成長に頷きながら応援している。

最後に決勝戦にまですすむような強者は相手に勝ちたいという意欲や意思もさることながら、なによりテニス愛に満ちている。強い者ほど他人のフォームを研究するし、他人の戦い方に敬意をはらい研究している。だからめっぽう強い。テニスを知っている。その完ぺきなまでの強さが他人を引きつける。ファンの黄色い歓声もあがる。イチローは他のバッターや対戦するピッチャーに勝つほどにヒットを打ちたいという意志ももちろん強いのだろうが、それよりも野球をだれよりも愛しているように思える。それが個性になっている。オンリーワンの存在。

試験の採点ミスがときにある。96点なのに採点ミスで98点がついている。そこで潔ぎよく減点の申し出をするような子が一学期にいたが、その子はその後の期間のテストで100を連発した。フェアプレーの精神がある。試験というスポーツを愛している。

勉強は好きなだけ自分からしてよいものだ。本来強制されなくとも学びたいというのは人間の本能だ。赤ん坊の頃から学びははじまっている。

そんなわけで、ぼくは勉強愛をたいせつにしている。勉強を強制しない。喰わず嫌いはたしかに困るがだからといって「やりなさい」とは言わない。かわりに後ろにたって右手に右手を添えて、鉛筆を動かしてみたり一緒に本文を読んでみたりする。おもしろさを伝えたい。「すべては愛でしょ」をこのブログ、せるふ・すたでぃ・ねっと☆の副題にしたのにもそんな些細なこだわりがある。たんにねこにゃ~☆さんをパクってるだけじゃないの。

シリーズ「たいせつにするもの」はこの辺で終わりにしよう。