うちは知識を伝えたり知識を暗記したりする時間は授業内でほとんどとらない。
「暗記したいなら家でどうぞ」が塾針だ。
とりわけ算数や数学、英語、国語は考え方を身につけることが必要な科目である。週1回125分しかない授業を公式の暗記などに使うことはしない。
その代わり覚えているかは翌週に確かめる。
樋口新一さんも2/19に書いていらっしゃるが長い目でみれば結果とて一番役立つものとは言えない。自分で考える習慣をつかめたかこれが肝心だ。
意味もなく英語で言うなら、
What is most necessary for young children is to develop the habit of thinking for themselves.
(mostにはtheをつけないでおく。theをつけなければ最上級でなく「非常にたいせつ」くらいの意になろう。)
まして業界の合格広告には何ら信憑性すらない。とよ爺さんが2/19に書いていらしたように。
合格実績を売りにする塾には間違ってもなりたくないな。
誤解を恐れずに書くなら、魚屋は魚をうっている。料理屋は料理を売っている。銀行は金を売っている。
もちろんストーリーや感動や空間を売るという言い方があるのは百も承知している。
でもぼくはもっと単純に考えていたい。政治家は政策を売っている。医師は技術を売っているのだ。芸人は芸を売り、音楽家は音楽を売る。ほかになにがあるというのか。
塾屋は何をうる?
塾じゃないよ。ぼくは売りましぇーん(武田鉄也のようにトラックをとめながら)。
塾屋が売るのは授業だ。
どんな授業を売るかが塾屋の差だ。
ラーメン屋のつくるラーメンにこだわりがあるように塾屋の授業にもこだわりがある。
ラーメン屋のメニューに「ラーメン」しかないってそんな店があるよね?
何ラーメンとかない店あるよね。
せめて大盛りくらいうけつけてよ~(誰に泣きついてんの?)
だってがっしりしたやさしそうな目のシェフに「おめぇに出す大盛りはねぇっ」って言われたの(ビツクリ)。
ぼくはああいう頑固系がスキだな。
でね、うちは授業を売っている。
メニューはひとつ。
「考える習慣がつく授業」。
ラーメンは一生食いたいが考える習慣がついた人はうちをやめてくれたら本望だ。
そんな塾屋になりたい。
おれはそう思う、いや少なくともワシはそう思うとる(ひさしぶりに亀田パパキャラで)。
ほなね・・・、すた、すた、スタンディングオベーション(ひとりで)。
塾屋は何を売っているのか?(1)
↑「りんごアンテナ日記」さんや「上機嫌でいこっと」さんに載りたい一心でシリーズイヒ。
化☆