子供は放置しても勉強するものだ。
要素3、環境。
じゃあ、親になにができるというのだろう。
親は何もせずにひたすら待てばいいのだろうか。
むしろ、ぼくは待てましぇ~ん(トラックの前で浅野温子に向かって再び叫びながら)!!
勉強をしなさいとも言えない。勉強を与えることもできない。
聞かれたら教えるとか自らどんどん教えるとか?
そういうのもあるかもしれない。
ぼくは環境だと思う。勉強するとどんなにいいことがあるのかを知らしめること、勉強が身に役立つということをわからしめること。
勉強したらどんなにいいことが待っているのか生活の中で知らせることだ。
なんでステーキが食べられないのか、それはステーキをたべるだけの資産がないからだ。
なんでアパートにしか住めないのか、それは一軒家を買うだけの力がないからだ。
なんでテニスシューズがニシムタの安売りなのか・・・。
ぼくの親は僕に言った。
うちは生活保護なんだからあんたくらいはしっかりしなさい、と。
ぼくははい上がりたいの一心で勉強した。
いいことがあると確信していたので迷いはなかった。
そして、いいことはあった。
大学の教官は入学面談(最近の国立大は面倒見もいい)で、ぼくに伝えた。
その面接用紙には学生の環境(奨学生か否か、家族のこと)まで書いてあった。
「今後はもう大丈夫だよ、よかったね、がんばりなさい」と言われたのを覚えている。
まるで今までのぼくをさげすむかのような言葉でもあり、大学というものに甘い幻想をいだかせる言葉でもあった。
子供によく聞かれる。大学ってどんなところですか、と(なんとなく倒置法で)。
ぼくはこう答えることにしている。
いいことがあるところだよ、と。
好きな勉強が好きなだけできる、そんなにいいところが他にある?