知識が少なくてもそれだけの道具をこれでもかというくらい根性で使い回して高得点をとる子がいる。
ある意味まなびの暴走ができる子。
独学期間が長い、自学期間がながい、親が干渉しない子供ほどおそろしく「独走的な」解き方をみせてくれる。
これは大切だ。
独創はどこから生まれるのかがぼくにはわかる(久し振りにキッパリ)。
数学でいえば改行がやたらに多く紙がたりないくらいにまで書き込みそれでいて正解を連発する。
a:b=c:dの比例式で、外項の積と内項の積とが等しいだとか、垂直に交わる2直線の傾きの積がマイナス1だとか、
そんな高校受験では当たり前とされるような知識さえなしでも高得点をとる子がいる。
そんな子は大抵、知識を脳内でフル回転させる習慣を獲得しているので、問題演習を本格的にやりだすとおもしろいくらいに伸びていく。
塾に入るのが中3ではじめてでも理解科目が先に3か月とか6か月単位でグングン伸びていき理科社会暗記科目もそれについていく。
そんな子たちは塾に入り教師に教わるから伸びるのではない。
材料を与えられやるべき量を知るだけでいいのだ。
独学で一番大変なのはひとりで理解することなんかではいささかもなく、たんにペースがわからないことなのだ。
独学はマラソンを一人で走るのに似ている。
ペースがつかみづらいのだ。
週1回並走し、あとは独走でいいのだ。
一斉指導塾に所属するメリットもここにある。
一斉指導塾の環境はちょうどスタート後のギッシリの人込みではないだろうか。
個別指導塾のそれはゴール前の独走かもしれない。
独創的な解法は幼少期からの独走(ひとりで考えぬくこと)から生まれる。
今日のヒカリっ子はすさまじかった。
屋根から落ちて来るモリの物語(泥棒やオオカミよりもこわいのは雨漏りだという趣旨の物語)なのだが、モリの正体を頭の中で見事に再構築し、およそ原典とは似ても似つかないストーリーを組み立てていた。
それは見ていて楽しいものだ。
こういう独創ができる子は国語がおそろしく伸びていく。
モリの正体は雨漏りだったのだが彼の中では朝はこわくて夜は優しいものになっていた(目を輝かせながら)。
なんだかよくわからないが光るものを感じた。
ぼくはそう直感した。
いい日だ。